2004年11月16日

近況報告

勝手気ままにつらつらと書いてきましたが、
本当の所、私は今どんな状況なの?という自分の確認も含め、
少し書いてみたいと思います。

現在未活動。
最近は内部からの連絡もあまりこなくなって
毎日割に自由です。
先日スーパーのエレベーターで地域の婦人部長と遭遇。
しかし完璧にそっぽを向いて無視され、
ちょっと世間話でもしてみようかなと思ったけれど
向こうから拒絶してきたのでちょっとホッ。
内部の人にはものすごくあたりがいい人なのに、
所詮完璧に去ってしまった者に対しては
こういう扱いしかできない人なのね。

抗不安薬の服薬は、もうかれこれ2年以上なし。
服薬していても1年弱でした。
今は精神的に落ち着いたというか、肝が座った!?
ということでこのブログを運営しています。

アダルトチルドレン問題は、ほとんど収束しています。
自助グループへの参加、関連した本を片っ端から読んだり、
チャイルドセラピーという、自分のチャイルドに会うワークショップに参加したり、
とにかく出来ることをなんでもやってきました。
自分のチャイルドに出会うと、今までどれだけ自分を出してこれなかったか
手に取るように理解できるようになり、
それでだいぶ、自分の治療の方向性が見えてきました。
私が劇的に回復したのは、チャイルドの欲求や考えを意識して
毎日を過ごすようになったためです。

今は私自身、とても冷静に物事を判断できるようになりました。
これからもこの調子で書いていこうと思います。

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2004年11月15日

学会員の裏表

gizmoさんのブログで、
「学会員、偽りの暖かさ」という記事を読ませて頂きました。

http://home.newsch.net/gizmo/

私は学会員の恩着せがましいところが好きではありません。
民音チケットのノルマを達成する為に無理やりチケット購入をお願いし、
その見返りに遠方の会合に行くときに車を出す羽目になったり、
新聞啓蒙が出来ない時にノルマの数に達するために、
近くの人どうしで数をあげあったりすることが日常です。

学会の組織を大きくするために
悩んでいる人を見つけて布教するのは絶対だ。
そういう対象の人にはものすごくあたりがソフトだ。
けれど、入会したらほったらかしにされることも多々あるし、
悩みなどをどうにかしようとして入会して、
これから日々の暗黙の了解みたいな人間の裏表に
ついていかなければならないのかと思うとこちらも胸が痛い。

しかしながら、悲しい性です。
何かをしてあげて見返りが戻ってこないと
やってられないような寂しい組織。
団結が美学で見返りを求めたとしても、
仲間を無条件で守るとか、祈るとか、助けるとか、
そういうことが出来る人ってあまりいない。

日蓮大聖人の大慈悲に包まれているであろう学会に、
慈悲を持って活動してる人っていないのですか?

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2004年11月14日

宗教脱会者のために自助グループ紹介

宗教カルトなどからの脱会者のために特別に設置されたミーティングがあります。

ここには、学会被害者だけではなく、
様々なカルトの被害者が集まって、
「言いっぱなし、聞きっぱなし」の法則にのっとって
自分の心に詰まった、誰にも言えない、理解されないことを、
宗教被害者どうし語っています。

「脱会者のためのグループ」とYahoo検索すると出てくるのですが、
もし詳細を知りたいのであれば、私にメールを下さい。
私が参加した時の状況しかお話できませんが、
何かしらのお役に立てると思います。

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2004年11月13日

共依存

前に共依存のお話をしましたが、
すごく大切なことなので、もう一度お話したいと思います。

共依存の定義とは、
<<他人が自分の存在を証明してくれるものとしてあるような
依存的な人間関係>>

いまや貧乏でも病人でもないのですが、
昔は、そういった問題を抱えた人の集まるのが学会でした。
とにかく頼れるものが欲しい。
病人が医者を欲したり、
無職の人が仕事を欲したり、
そういうのと同じです。
「祈れば必ずかなう」と言われて、
学会にも、心の拠り所を求めました。
お互いに依存しながら、自分には価値があると感じながら、
学会はどんどん大きくなってきたのです。

私が恐ろしいなと思うのは、
宗教が必要のない人にも、共依存のコントロールがかかることです。
必要がないという以前に、
勝手にマインドコントロールの支配下に入ってしまう、
そういう人がいます。
それが、自分の意思で学会に入っていない二世以降です。
共依存の関係の真ん中に生まれた子供です。

私は、共依存である場所とそうでない所では、
共依存でいることの方が大変だと思います。
依存する為には多大な労力がかかり、
常識的にしてはいけないことも許容しなくてはなりません。

(以前例を出しましたが・・・
お酒を飲んで妻に暴力を振るう夫は、お酒を飲むことで、
妻に自分の面倒をみてもらいたがっているのかもしれないし、
妻は酒を飲んだ夫の面倒をみることによって、
自分の生きがいを見いだしているのかもしれない)

しかし、その共依存が素晴しいものだと勘違いしたら?
上に出した例は、逆の側面から見ると、
暴力を振るっている夫がいつか更生すると信じ、
妻は健気に見守り続けている、とも言えます。

ここで学会お得意の「困った人を幸せにしたい」の登場です。
人助けが美学の学会ですから、
どんどん美しい話に仕立て上げます。
それを見てきた子供たちは、
美しい側面ばかりを見て、物事の本質を見ないまま
学会は正しいことをしているところだと勘違いしてしまいます。
共依存することが自然なのです。

共依存が自然なんて、おかしくないですか?
このまま創大卒の官僚とか大臣とかが、
社会問題を美化するようなことがあったら最悪です。
是非社会の要人には、常識人であって欲しいです。

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2004年11月12日

プライバシー

学会では何かあると必ず
「何でも話せる先輩はいる?」と聞かれる。

学会の中で信頼を寄せて何でも話せる人は皆無に近い。
信頼して話したはずなのに、
次の日には他の人もみんな話した内容を知っていたりする。
こういうことがあるから、組織はイヤだ。

しかも最近、会員は物凄く事務的になってきた。
私が小さい頃は、もっと内部の人間関係は暖かかったように思う。
(親が多忙な為)こっちの家にご飯がなかったら
あっちの家に食べに行ったり、
泊まらせてもらったり、
家族ぐるみの付き合いをしていた。

けれど最近は社会全体がドライになってきたのもあって、
組織の中もかなりドライだ。
みんなが自分のプライバシーを守りながら活動している。
でも、自分のプライバシーは守りたいくせに、
夜遅い時間とか、自分の都合の良い勝手な時間に
部員の所へ押しかけたり、電話をしたりする。

ちなみに私は非常識な時間にかかってきた電話には出ない。
家族とかよく話している親友ならまだしも、
学会員には常識をわかってもらう必要があるので、
必ず昼間に対応することにしている。

それに、男子部は日付が変わっても活動している。
あれこれをしていたら○時になってしまい、
からくり時計からどのメロディーが流れてきた、とか、
前にコメントにも書いたが、
身を投げ打って先生の為に活動し、
血尿が出たら、それが立派な勲章なのだそうだ。
こういう活動の場になっている地区の拠点や
部員の家には多大な迷惑がかかることになる。
でも大概は貸さないとは言わない。
自分の家を会場として提供する事で、
功徳がもらえると信じているから。

すごい共依存だ。
プライバシーでさえ、飲み込んでしまう。

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2004年11月11日

祈ること

祈ることについてコメントを頂いたので、
それについて私の意見を書きたいと思います。

私は「曼荼羅に向かって祈ること」について、
もしそれで自分の心が落ち着いたり、
考えがまとまったりするのであれば、
それは無理にやめなくてもよいと思います。

だから、もし何かにすがりつきたくて経をとなえるのも、
自分の心が平静で、穏やかになるためにするのであれば
それも全然アリだと思います。

問題は、「祈りと学会組織の関係」です。

自分のために祈るのは、学会内部では「勝手」です。
マインドコントロールにかかった人は、こういう祈り方をします。
必ず「○○という願いをかなえる為に功徳をもらいたいから、
この戦いを頑張る」とか、
「学会の実証を示すために○○という願いをかなえてください」という

何か学会の役に立つことと引き換えに
自分の願いをかなえてもらう祈りをすること。
この2つが完璧にセット扱いなのです。

ここで、矛盾です。
なぜついて行きたくもない組織に良い事をしないと、
自分の願いはかなえられないのか?
答えは簡単です。

それは、この組織は「商売」だからです。
商売を維持する為に、貢献してくれる人が必要なのです。
それをうまい具合にコントロールにかけて
「日蓮仏法を正しく信仰する唯一の団体」ともっともな事を掲げ、
貢献する事と、それで功徳をもらえることとセット販売したのです。

被害から回復する途中で、
祈ることが抜けない人もいるかと思います。
今までの祈り方と、これからの祈り方は違うのだと、
自分の中で定義づけていけばよいと思います。
祈ること=学会への貢献だと感じる人は、
これから少しづつ、コントロールから抜けていけばいい。
無理はしないで下さい。
一気に抜こうとすると、
また頭の整理がつかなくなってしまいます。

実際私は法華経を保ったままですので、
毎日、家族が無事に過ごせるように、仏壇に手を合わせます。
その時に死んだ祖父母のことを思い出したり、
今日は家族にこんなお土産を買ってこようかなとか、
こういう穏やかな心を本当の
「菩薩界」とか「仏界」とかいうものだと思います。

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2004年11月10日

生きる

私は一時、生きるということがどういうことだか忘れかけたことがありました。
心のなかで学会への不信度が100%になり、
福子(親が会員でいやおうなしに入会した人)として
人生の全てだった学会を投げ出そうとしたと同時に
自分というアイデンティティをなくし、
私は本当にこれからどうやって生きていってよいか
全くわからなくなったのです。

その時、私を救ってくれたのは「薬」でした。
薬といっても、麻薬とか違法の薬ではありません。
精神科や心療内科で処方される、「抗不安薬」です。
私は少しの間、心療内科に通っていましたが、
そこに通い始めるのにもかなりの勇気が必要でした。
そういう類の診療を受けるのは、精神病者だと思っていたからです。
私は精神病なんかじゃない、ただ悩んでいるだけなんだと、
心の中で拒否をし続けていました。
しかし、突き詰めて悩んだ時、からっぽで抜け殻の私は
「こんなに悩まないといけないなら死ぬ」と決意してしまったのです。
その時、自分の死の観念と初めて向き合いました。

仕事中でも無意識のうちに涙が出てくるので、
とうとう会社にも通えなくなってしまいました。
近所の道を歩いているとき、小さな子供がお母さんに手を引かれているのを見て、
私も悩みを相談できる親を持ちたかった、
もし相談できたなら、こんなに自分は腐ってなかっただろうと
ふと思いました。
母は会社に通えない私を世間体が悪いと思っていたので、
私が外に出るのを嫌っていました。
死ななければ家に閉じこもる、
死んでも私は学会員による友人葬(会員が経を読んで葬式をすること)。
どんな風に死んでも、どんな風に生きても、
どっちにしろ、学会の思うつぼ。
だったら、退転者と言われようが、反逆者と言われようが、
生きたほうがまだいい、と。
それから私は、自分が生きるためにどうしたら良いか考えました。
まずは心療内科。とにかく生きるためには必要だと判断。
そこで精神科の先生に話を聞いてもらい、
今の状態を診断して薬を処方してもらいました。
それに、通院してみると、患者さんはみんな本当に普通で、
一見、精神的に問題を抱えている人には見えないのです。
うじうじ考えるより、全くもって産むが易しでした。

その薬を飲み始めて、徐々に精神的な落ち着きを取り戻してきました。
落ち着いてくると、周囲のものが冷静に見え始めました。

好きな本を読む自分。
楽しいテレビ番組を見て笑う自分。
気に入っているCDを聞く自分。
そんなたわいもないことが、とても幸せに感じてきたのです。

今まで1000万票獲得の戦いとか、
折伏何世帯の戦いとか、
署名を何万人集める戦いとか、
それはとても大きな規模の目標や戦いを掲げ、
ずっと生きてきました。
そういうものに隠れていた、小さな幸せ。
いつもなら普通にやっていたことが、とても幸せに感じる。
これが世間一般の幸せなんだ、と思った時が
私が一般人としてのアイデンティティを持ち始めた瞬間でした。

ここに来てこのブログを読まれている皆様の中に
もしかしたら、自分の境遇に嫌気がさし、
死ぬことを考えている人がいらっしゃるかもしれません。

死ぬのは、絶対にやめてください。
一人で解決できないのであれば、私にメールを下さってもかまわないし、
心療内科へ行って、話を聞いてもらうこともできます。
話をすることによって気持ちに整理がつき、
物事を主観ではなく、客観的に考えることが出来るようになります。

それに、考えてみてください。
自分の最期の全てが学会に悩む自分だったなんて
悲しすぎませんか?
嫌気が差した学会の為に死んでいくなんて、
私だったら絶対に嫌です。
学会は数年前、
「21世紀になったら、精神病者が増える。
その人たちを助ける学会でありたい」と言いました。
しかし、いまやその学会自体が精神病者メーカーです。
本当に本末転倒、
自分のやっていることが、学会はわかっているのでしょうか。
私は学会なしでも普通に幸せになって、
そして、ちゃんと一般人として復活できたフロンティアとして、
そして学会被害者の味方になって
一生をかけてでもそのたくさんの人の心の病んだ部分を理解したい。
そう思うのです。

どうか、一人で悩まないで下さい。
仲間は潜在的にたくさんいます。
かつて一緒に戦っていた仲間の数人も、
今は組織についていません。
私と同じく、組織に嫌気がさした人たちです。

私はここに来てチャンスが訪れていると思います。
組織が未活動者になってしまった人に対して、
すこし監視を緩めている感じがします。
先日もお話しましたが、活動家が増えていないのです。
このままで行くとお布施もふえないので、
いつ発心するかわからない未活動家も
とにかく脱会しない様に多めに見ている感じがするのです。
私はそのチャンスを使って、本格的に
学会員との交流をやめます。
少年部の頃からの内部の友人などは、
私を察してあたらず触らずで付き合ってくれる人もいます。
しかし、誰か1人に話をすると四者筒抜け。
(四者とは壮年部、婦人部、男子部、女子部です)
勝手に話が流れていて、何でこの人が知ってるの?ということが
日常的にあるので、秘密は守られません。
恐ろしいほどの団結、連絡網です。

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2004年11月09日

有名人が創価学会に入会する理由

会員のおばさんがたの井戸端会議などで聞いた話。
有名人が創価学会に入会する理由は、
「仕事をもらうため」ということです。
入会した事で仕事面で恩恵を受けることができるのです。
例えば、H本M美さんとS田R恵さん。
この二人はかならずセットです。
だからどっちかが人気がなくなったとしても
また出てこれるからOK。
どんな人が入会しているかと研究していると、
テレビでの共演頻度が
また創価学会つながりであることが見えてきます。

あとは、全国1000万人いるという会員が、
CDが出るとか、ビデオが出るということを聞くと
会員のよしみで買ってあげてしまうことです。
有名=学会に貢献していると暗示がかかっているので、
どんどん応援してあげてしまいます。
この貢献していることを、学会の中では
「実証を示す」といいます。
毎日の中で、学会員は自分の組織を認めてもらう為、
いつも「非会員に認めてもらうこと」を
進んでやろうと思っています。
また創価学会が主催している
「民主音楽協会(民音)」の催しに出演できたり、
たくさんの人が見方になってくれるという意味で、
学会員になることはメリットになるのです。

しかし、一般市民には学会員ということを
有名人の方々はカミングアウトしていないようです。
というのは、自分が会員と知っていてもらいたいのは、
仕事を回してくれる業界関係者や、
応援してくれる会員の人だけでいいのですから。
芸能人は組織内の「芸術部」という所へ属すのですが、
著名人が本当に活動しているのかどうかは
一般会員からしてみたら見えない所なので謎です。

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2004年11月08日

鳥居の話

私が小学生の時、6年生の修学旅行と言えば日光でした。
日光といえば、東照宮。東照宮といえばお寺。
そう、お寺や神社に行ったら、してはいけない事があるのです。
それは「鳥居をくぐること」。
私は親から「してはいけないこと」として教えられていました。
「刷り込み」です。
鳥が卵から生まれたら初めに見たものを親と思う、アレと同じです。
こちらの有無は関係ないのです。理由など無く、
してはいけないこと=鳥居をくぐることです。

小学生には少年部という活動グループがあり、
その中ではコミュニティーが出来上がっています。
ですから、「みんなで」鳥居をくぐりません。
私は同じ学会員の友達3人と、鳥居をさけていました。
すると、学級担任が
「なんでくぐらないの?」と聞いてきました。
そりゃ、数人で同じ事をしているので不自然です。
なので、
「私達は自分の宗教関係で鳥居をくぐらないようにしている」と言うと、
担任は秩序を乱している私たちに対してたちまち怒り出し、
「自分の宗教が大事なら他の宗教も大切にしてやれ!」
と怒鳴ったのです。
今から考えてみればごもっともです。
私たちを見た他の生徒はどう思ったのでしょうね。
しかしながら、私たちには反論ができません。
それは、朝起きて周りにおはようと言う様に、
何かしてもらったらありがとうと言う様に、
私達は鳥居をくぐらないんです。反論のしようがありません。

ちなみに私は仏教を保ちながら、キリスト教の
「汝隣人を愛せ」などの言葉はとても好きです。

今は学会のイメージアップを考えて、地域の活動などだったら
お寺や神社のお祭りなどには積極的に参加してもOKと指導がありましたが、
その昔は、他宗教と関わりを持つことはタブーでした。
(今も深く関わる事は禁じられています、もちろん)

今でもそう信じている人がいるのなかぁ、と思うと
その信仰の深さに頭が下がると共に、
少し同情してしまいます。
ついこの間、京都の伏見稲荷神社で
今まで見た事もないような巨大な鳥居をくぐりましたが、
今のところ、罰はあたっておりません。。。
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2004年11月07日

引用の嵐

私はかれこれもう何年も、活動を完全にストップする前から、
同時中継に出席していません。
同時中継とは、本部の大きな会合を、
末端の会館に放送するシステムの事で、
おおむね3日間位は再放送されるので、
みんな自分の都合の良い時間に見に行きます。
池田先生のスピーチが動く画面で見れるので、
だいたいは都合をつけて行くことになります。

私がなぜ行かなかったかというと、

-何日かすると新聞に全文が掲載される。
-熱心な母が勝手に私へ内容を吹き込む。
-先生のスピーチが偉人の引用をしすぎのため、
これなら伝記や、その偉人本人の本を読んだ方がまだまし。

問題は3番目。
必ず「誰これという人がこう言った」で始まる。
そして引用をしまくり、
それをあたかも自分で行ったかのように摩り替える。
この人は自分の言葉で物を言えないものかと
スピーチを聞きながら何度も思ったことがある。
でも、自分の言葉で言ったところで、
それはカルト教団の長の言った言葉でしかない。
オウム麻原が「宙を浮ける」と言っているようなもの。
要は、「偉人の言葉を借りないと
皆に理解してもらえない、
理解される為のとっかかりにもされない」ということです。
実に悲しい、教団の長です。

小さな頃、よく「本を読め」と指導されたのですが、
それって、学会人としての処世術だったのですね。

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2004年11月06日

一家和楽(いっかわらく)

この言葉を聞くと、大体読んで字の如くで、
「仲の良い一家」「楽しい一家」など浮かんでくることでしょう。
これは年がら年中、創価学会で言われている指針のひとつです。
「お父さんとお母さんを大切にしよう」とか、
「家族のお手伝いは進んでしよう」とか、
その指針は小さな頃から別の表現で教え込まれますが、
最終的にはこの言葉に収束します。

一見、まっとうな子供のしつけに見えます。
しかしながら、この言葉は
相当のマインドコントロールを受けている家庭でしか
作用していません。
というのも、のらDOGさんが言われている通り、
和楽にしようとしても、
学会の家族において、
家族の中に常識がある者がいる場合、
絶対に和楽にはならないからです。

和楽、和楽、と教え込まれると、
一家が仲良くしていないとダメと思うようになります。
普通の家族なら、喧嘩とかちょっとした反抗とかを
してしまうときもあると思います。
しかし、これを教え込まれていると、
病的に両親を大切にしなくてはいけないと思うようになったり、
自分の言いたい事を抑えたり、
欲求を抑えたりしながら、家族と付き合っていかなくてはいけません。
これが「コントロールされている状態」です。

学会は家族に「仲良く」して欲しいのです。
そうすると未来の人材が育ち、
会員数の面でも学会の末が安泰なのです。

だからと言って、私は仲たがいを促してはいません。
おかしい、と思ったら、おかしいと言ってもいいことを
わかって頂きたいのです。
もし「おかしい」と感づいたら、
その気持ちを押し殺さずに、自分に素直になって下さい。
押し殺していると、「一家仮面和楽」になります。
演技を続けようと思っても「仮面」、
続けなかったら、もちろん一家和楽にはなりません。
どっちにしろ、なり得ないのです。

私の家では、現在、母のみが活発な活動家です。
父は私の知らない所で常識人に変貌したのか、
時々会合で自分の発言の番になると、
「私が会合に出かけようとすると、娘が悲しそうな顔をして
また行っちゃうの?と聞くんです。
それを思い出すと今でも悲しいです」
などと堂々と言っているのと見かけました。
私はそれを聞いてとても嬉しかったです。
見捨てられてなかった、と。
それから何かあると父に相談をするようになりましたが、
やっぱりコントロールの影響が残っているのか
「折って伏せる」様な言い方をする時があります。
そういう時は無条件に無視します。勿論。
母とは人間の会話ができないので、会話はありません。

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2004年11月05日

顕彰・表彰の話

よく聖教新聞一面に、名誉会長が表彰されたというのが載る。
どこかの大学で名誉教授になったとか、
どこかの国で名誉市民になったとか、そういうのです。


私は前に疑問に思ったことがあり、
表彰元をネットで検索したことがありました。
そうしたら、そう、このネット時代に全くヒットしないのです。
検索ワードを1つも拾わないのです。


それって・・・一体どんな団体から表彰されてるのでしょうか。
とても小さい、マイナーな団体としか思えないのですが。
例えば、私と友人と2人で
「世界平和を広める会」というグループを作ったとしましょう。
その2人で先生に賛同し、
もっともらしい賞状を作り、学会本部に送ります。
すると次の日の聖教新聞には・・・

平和を、人間の権利を訴える団体!
「世界平和を広める会」より名誉会長が表彰!

とか見出しがつくのでしょうか。
賞をお金で買っているというのは有名ですが、
もしかしたら自分を表彰するために団体をつくっているのかも。。。
なんていう憶測だって出てしまいますよね。
何も知らずに新聞を見ては「すごい!」と言っている
日本全国の会員の皆さんがいたたまれないです。

私の母は十数年もの間、聖教新聞の配達をしていました。
小さな頃はよく配達にくっついて回っていました。
時々朝早い会員さんが玄関に出てきて、
「えらいねぇ」と言って
お菓子とか果物をくれたことを覚えています。
その時は「もらえるなんて功徳だね」と母から言われました。
聖教新聞の配達はほぼボランティアなので、
お給料も当時毎日配達しても1000円とか2000円だったように思います。
聖教新聞自体、それほど高くない新聞ですが、
子供ながらに「この薄給、ヤバくないか?」と思いました。
よく考えてみると、聖教新聞社の社員は学会本部役員で、
仕事の時間でも会合へ優先して参加できます。
大きい会合があれば早退もOKです。
そんな環境なので内容の濃い新聞なんてできないし、
本当にぼったくりですね。
(ちなみに私はTV欄でさえ見ません)

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2004年11月04日

御書の不思議

私が思う学会の最大の勝手は、
御書をコントロールしていることです。
御書とは、日蓮聖人が信者に宛てて書いた手紙を、
一冊の本にしたものです。
その中には信者への励ましや、信仰の指針が書かれています。
学会がそれをコントロールしているというのは、
組織活動に都合の良い解釈を信者に流しているということです。

年末の御供養(いわゆるお布施)が近くなると、
「御供養をすると幸せになる、功徳が積める」という御書が必ず出てきます。
内容はこんな具合です。
<<どうしても御供養をしたい。
でもあげるものが何一つもない。
だから土で団子を作って差し出したら、
「その気持ちが大切だ」と言って喜んでくれた。>>

この話を聞いて、会員は感動します。
それはマインドコントロールのたまものです。
人のために走ることこそ美徳とされている組織。
嫌なことでも上手い口でまるめこんでやらせ、
イヤと言えば「薫陶」「試練」「宿命転換」と何かにつけ言われます。
幹部の人達はいつも、
(本当に思っているのか?わからないけど)
池田先生は自分たちのために動いて下さっていると言い、
だから、先生をお守りするためにがんばれと。
そういう環境の中で好きとか嫌いという、
人間として根本的な感覚が麻痺してしまいます。
ですから、土団子でも人を想う気持ちがあればOKという物語に、
(植えつけられてしまった)自分の理想とオーバーラップし、
多額のお布施をしてしまいます。

一口1万円の所、私の両親も一度に100口以上のご供養をしていました。
私は22歳の時に就職してから毎年払い、
健気にも一年で一口づつ増やしていこうと思っていました。
(おばあさんになる頃には毎年いくらすることやら)
若干20代半ばでたいしてお給料ももらっていないと思う仲間が、
100口やりましたという話を聞いたこともあります。
現在ではもうそんな話は笑うしかないです。
学会の資産は、銀行の頭取がどこよりも早くご挨拶に来るくらいですから。
私一人お布施をしなくたって、この先何十年も十分組織を維持できます。


そして、会員に害のある内容は御書に載せていないという話は有名ですが、
「女子部は御書を武器に!」「御書根本!」
と言っておきながら、
座談会(1ヶ月に1回、組織の老若男女が集まる会合です)では
上で申し上げた様な、組織にプラスになるものを勉強し、
長文でもう少し高度な書は、2ヶ月に1度しか勉強会はありません。
それ以上に、難しい言葉で書いてあるので、
みんな講義に出ると、下を向いてほぼ寝ている状態だったり、
違うページの会員の体験談などを読んでしまっています。
居眠り続出の中で講義をする方にも同情したいのですが、
教える方も理解が浅いのが実情で、
質問をしてもちゃんと答えは返ってこないし、
「勉強不足でごめんね。みんなと一緒に勉強しているから」
等と言って、ごまかされます。

ここが学会の、会員を留めておくためのしかけです。
御書、教義一般は、もし突き詰めて勉強をしてしまうと、
学会がどれだけ組織中央部の私利私欲の掃き溜めなのか、
理解をしてしまいます。
言っていることは大義名分、やっていることは商売。
これが学会の本当のところです。

私が最近思うことは、どうせやるなら会員の方々は
思い切って信仰を突き詰めてみるべきです。
指導を受けまくる、同時中継を聞きまくる、
御書を読みまくる、そして矛盾を知る。
そのステップを踏まないと、
本当の意味でのマインドコントロールからは開放されません。
深いコントロールは、それなりに深い理解に基づいて
解決されないといけないのです。

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お引越ししました

まだブログを立ち上げて1週間ほどですが、
ブログ存続の為、こちらへお引越ししてきました。
ブックマークをして頂いていた方、ごめんなさい。

いつまでこのブログを存続できるかわからない為、
これからは、書きたいと思ったことを
一日に何度でも書いていきたいと思います。

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2004年11月03日

お引越ししました

まだブログを立ち上げて1週間ほどですが、
ブログ存続の為、こちらへお引越ししてきました。
ブックマークをして頂いていた方、ごめんなさい。

いつまでこのブログを存続できるかわからない為、
これからは、書きたいと思ったことを
一日に何度でも書いていきたいと思います。

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たくさんの方にこのブログを紹介していただき、
本当に感謝しております。
ここにお世話になっているブログを紹介致します。

世の中はウソが多いから生き辛い
http://www.alcblog.jp/d/2000570/

創価学会体験記
http://blog.goo.ne.jp/free-zu/

心の凪路
http://d.hatena.ne.jp/kokorononagiji/

また、たくさんの書き込みをどうもありがとうございます。
一日で700カウントも跳ね上がり、
更に気を引き締めて、
出来る限りがんばって書いていきたいと思います。

ここで、自助グループについて少し書きたいと思います。
まず初めに、このグループは皆、アダルトチルドレンや
様々な依存症から回復される為に、
皆さんが心の拠り所として通っている場所です。
決して子供の遊び場の様な場所ではありません。
その事だけ胸に留めてお読み下さい。

自助グループの最大の目的は、
「心にたまっている事を言葉に吐き出して、
自分の心を整理すると共に、
同じ悩みを持つ者が共感して理解し合うこと」です。
共通の悩みがあれば話もしやすいし、
聞いてくれる人がいないような特殊な悩みも
(例えば宗教問題とか)
ここで話す事が出来ます。
ここでのルールは、
「言いっぱなし、聞きっぱなし」です。
皆話すだけで、一人の発言を追及したりしません。
元々グループ自体が悩んでいる環境ごとに
カテゴリー分けされているので、
(アダルトチルドレン、アルコール依存…など)
追求することなく、理解ができるのです。
聞いたこと、話したことは、そこで終わり。
なので、「安全な話しの場」として
グループは守られます。

私も少し前まで、グループに通っていました。
特定の固有名詞さえ出てこないものの、
話を聞いていると、創価学会の被害者らしき人は
とてもたくさんいました。
「教義の試験」「友人との対話」「折伏」
などの単語が出てくると、ああそうだなぁ、と。
幹部のあり方などを話す人もいました。
それを聞いて、元幹部であった私は
私自身が加害者であったのではないかと
思い悩むこともありました。
しかし、そうなってしまったのは私のせいではありません。
勝手に入会させたのは親であり、
私にマインドコントロールをしたのは学会です。
このブログを読んでいるみなさんも、
特に二世以降の会員は、
思い悩むこと全てが、決して自分のせいではありません。
参考までに関連書籍をご紹介します。

毒になる親― 一生苦しむ子供
講談社プラスアルファ文庫
スーザン フォワード著

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2004年11月02日

選挙活動

他のブログでは、政治を客観的に描写しているので、
私は内部から見た選挙活動を書きたいと思います。

よく1000万、1000万と、
1千万票獲得する戦いをしていますが、
ここ何年も掲げているのに、この目標は達成されていないようです。
通常、もしいわゆる「会員」が皆1票づつ入れたなら、
あとは厳しい選挙戦を戦わなくても、
ゆうに1000万は集まるという。
それにもかかわらず1000万入らないということは、
会員の中に「選挙退転者」がいるということ。

退転者とは、信心をやめ、学会から離れる人を指す。
しかし、最近となっては組織だけに嫌気が差して
信じる法をを持ちつづけながらも、やめる人が多いのが事実。
だから本当の意味は「組織についていない人」。

実際、学会の中でも公明党に投票していない人が
結構な数でいると聞きます。
Fの数(何人の友人に頼んだかという報告数)も、
末端から中央へ吸い上げると、
日本の人口の何倍もの数が上がってくる。
同じ人に何人かが頼むのこともあるかもしれないですが、
Fが増えなくてプレッシャーに悩んでいる人は
適当に数をごまかして申告しているように思います。
ちなみに私は大真面目に100くらい頼み、
地域の文化会館で体験発表をした経験があります。
今から振り返ると、その時にお願いした友達は、
今はもう、友人でもなんでもない。

選挙といえば、会合。
学会が「武器」としている御書の勉強会はやらないくせに、
選挙の会合だけは毎日でもする。
私はその中で「決起大会」だけに出ていました。
毎日出席しても、言われる事は一緒。
Fの数、内部固め。ただそれだけ。
ハッキリ言って時間の無駄。
そんな時間があったら新しいFでも取ってくれば?と思う。
でも、組織の長なんてどこも同じ。
とにかく自分の見えるところに部下を置いて、
集まらせ、自分の不安を解消する。

選挙が終わるといわゆる「中休み」があります。
友好期間という名目のお休みで、
この期間で友達と会って、投票のお礼をしたり、
また新たな人脈を広げようという期間。
しかし、せっかくの友好期間と言っても、
選挙や新聞啓蒙で失った友人は数知れず。
おばさん方は、大概誘い合わせて近くの温泉に行くとか、
やっぱり内部で楽しむ事になる。

今振り返ると、選挙で失った友達は多いです。
全く組織の活動とは関係ない誘いでも、
こちらから声をかけると断られる。
私は今気がついて本当に良かった。
このまま友達もいないまま死んでいくのはイヤだ。
だからといって組織の中で死ぬのもイヤだ。
私は、組織のコマではなく、人間だから。

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2004年11月01日

皆様にお願い

このブログを立ち上げてから、まだ5日です。
それにも関わらず、カウンターは600を越え、
このトピックに関しての関心の高さを知ったと共に、
声を出している私の責任の大きさを実感しました。
このブログは、創価学会の真実を伝えると同時に、
私のような境遇の方を励ますブログでありたいと思います。
しかし、声を上げていくのは1人では足りません。
ここで共感して頂いた方、
また、自分でブログを立ち上げるのはちょっと・・・
という方、
勇気を出して、書き込みをしてみませんか?
私は皮肉にも、学会の組織活動を通して
皆が団結する事でダメだと思うことも
努力で可能になることを学びました。
どうかお力を貸してください。
意見を皆に伝え、波紋を広げてみませんか?
政治的圧力は、学会が大義名分でダメだと言っているものです。
しかしながら、今の学会はそれ自身が政治的圧力の塊です。
本当にいつまで続けられるかはわからない常態です。
続けられる限り、私はこのブログを続けます。
そして、同じ悩みを持つ方々が
いつでも帰ってくるところでありたいと思います。


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<週刊ダイヤモンドがんばれ>

少し前、週刊ダイヤモンドが
「創価学会の経済力」という特集をした。
私はそれを見て目を丸くしてしまった。
会社の定期購読雑誌だったので、コソコソ隠れつつ、
休み時間に一気に読んだ。
そしてこう思った。

とうとう来る時が来たのかもな。

メディアのタブーの中には「鶴の記事は書くな」とある。
菊(皇室批判)、鶴(学会批判)、桜(防衛・自衛隊問題)は
現在でも書かない方が良いとされるものです。
しかし今回の記事には、具体的な数字などが記載され、
抽象的な噂話の記事では決してない。
逆にこの潔さに、学会が知名度や権力をアピールするために、
故意に書かせたのではないかと思ってしまうほど。
権力に打ち勝て!などと指針を掲げているが、
むしろそれを振りかざしているのは創価学会の方だ。
でもこういう記事もこれで最後だろう。
定期購読している人以外で買うのは学会員だけだ。
まさか普通の人がお金を出してまで買うことはしないだろう。
時々本のベストセラーランキングに「人間革命(池田大作著)」
などの学会書籍がランクインしていることがあるが、
それは、会員に書籍を販売する際の自らのルートをやめ、
売り上げを社会にアピールするために、
全ての会員に書店で購入させる事にしたためだ。
地域には「書籍責任者」なる者がいて、
担当の会員の書籍の購入数をまとめている。
そして近くの書店で注文する。

雑誌を読みながら、今晩あたり、
会館で血の気が荒い男子部がマイクに叫び、
「こんな雑誌が発売されました!また新たなる魔との戦いです!
この言論戦を断固として勝ちに勝ち抜き、
先生をお守りする戦いをしてまいりましょう!」
などという催しがされるだろうと頭をよぎる。
たぶん彼らから戦いを取ったら何も残らないだろう。

私は「戦い」を小さな時から教えられてきました。
未来部の時は、勉強や、勤行、唱題。
とにかく何でも目標と、その達成の為の戦いをする。
未来の創価の人材を社会に送り出すために、
組織はいろいろとマインドコントロールしているのだ。
成長すれば、数(ノルマ)との戦い。そして理不尽な事との戦い。
とにかく戦ってばっかり。
戦っていると、いつも戦々恐々としているので、
戦わなくていいことまで戦いたくなる。
よくしてくれる友達まで競争相手にしてしまうことがある。
そして普通にしているという感覚が麻痺するので、
ちょっとした事では全く動じなくなる。

辛いこともありましたが、
創価学会から学んだ事があるのも事実です。
それは、世間には常識と非常識があって、
私は常識の世界で生きたいと、わからせてもらったことです。
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2004年10月31日

いったい神様は誰だ?

今更言うまでもないと思うのですが、
創価学会は名誉会長を神とする唯一神教。それが真実です。
日蓮仏法を遵守する唯一の団体とアピールしていますが、
日蓮の教えなどは、今となってはもう皆無で、
ひとつの商売として成り立つような、
自分の都合の良いルールに変えてしまっています。
五座・三座の勤行(仏壇へ向かい祈ること)をSGI式勤行に変更する
(長い経文から短時間で読める短い経文へ)、
御観念文(本尊に祈る事柄をまとめたもの)の変更など、
例を挙げていくときりがありません。
会員の楽なほうへ。楽なほうへ。
やっぱりルールを簡単にしないと誰もついてこれないのでしょうか。
ここ数年、学会は「お守りご本尊」として、
ちいさなプラスチックケースに入った曼荼羅(まんだら)を配り始めました。
配るというか、1つ5000円で販売なのですが。
お守りを配られる人は払う必要はほとんどないようです。
私の知り合いには自分でお金を払ってまでもらった人はいないです。
しかし男子部の一部・女子部は独身で5000円の負担は高価なので、
私がいた地域では、自分の地域のノルマに達するのならと、
おじさん、おばさんたちが喜んで払ってくれます。
このお守りを配り始める前夜、急に召集がかかりました。
ここで皆、学会の崩壊地図を見たのです。
地域の婦人部長が私たちにこんな事を言いました。
「もう学会の広がりは行き止まりを感じています。
ですから、曼荼羅(紙のまんだら)を仏壇に飾れない人のために、
お守りを配って広宣流布(教えを広めること)をします。」
私たち真面目ちゃんは、本当にこれでいいのだろうかと
婦人部長に食って掛かったのを覚えています。
やはり祈りの中心は仏壇の曼荼羅ですから。
それにお守りとは、先生がいつも首にかけていて、
一般会員にはそうそうにもらえない、
貢献した人や、偉い人しかもっていないものなのです。
海外に長期滞在をした時にお借りしたした時は、
本当にすごいものを借りてしまったと、
とても緊張していたのを覚えています。
でも根本的にご本尊は「胸中の肉団におわしますなり」。
(御書では胸中の肉団(みぞおちのあたり=心)に
ご本尊は存在するのだと言われています)
だから広宣流布の為には、曼荼羅でもお守りでも
そういう流布の仕方もアリだと。
逆に言えば、要は信心があれば
どちらもいらないという事になってしまうのですが。
それもちょっと違うのでは?と思いながらも
婦人部の鍛え上げられた巧みな話術で
うまい具合に言いくるめられつつ、
本当に真に受けてしまった部員さんは
「お守りなら友人や親戚に持ってもらえるかも」と
小さな光を見つけた人もいたようです。
普通のお守りみたいに持てるのであれば敷居も低い。
しかしその考えは甘いです。
普通の曼荼羅でも、お守りでも、学会のイメージはイメージ。
本尊を保ちやすいということなど、問題ではないのです。
非会員とって、学会はどこまでいってもカルトなのです。
ノルマはもちろん達成などできません。
うちは母がまだ活動をしていますが、母の周りでは、
ご本尊送り(本尊を未会員に授与すること)をしたという話は
ここ一年以上聞いていません。
最近は選挙で忙しいですし。
私が信じていた学会の組織に不安や疑問を募らせていったのは
まさしくこの頃です。
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2004年10月30日

創価学会 vs. アダルトチルドレン問題

唐突ですが、私はアダルトチルドレンです。
自分を再建するのにあたり、気がついたひとつの過程です。
それに気がついたのはほんの少し前です。3年位前でしょうか。
アダルトチルドレンの定義とは、
「子供の頃の親との関係が原因で、
生きづらさの問題を抱えている人」。
もともとアルコール中毒の親を持つ子供のことで、
親の中毒を世間から隠す為に子供が色々な努力をし、自分を苦しめ、
素直で無邪気な子供であることを通らないまま大人になってしまい、
ずっとあとあとまで情緒が不安定になる1つの精神状態です。
親とは元々子供を健全に愛情をかけて育てる義務があり、
それが子供にとって感じられないばかりに、
良い子になり、親に認められようと必死に頑張ったりします。
良い子の役回りを選ぶ子はまだ救いがあるのですが、
迷惑をかけることで親の気を引こうとする子もいます。
そういう子供は警察のお世話になったり、薬物に走ったり、
家庭内暴力の原因になったりします。
今では広く、家族機能が不全である家の子供を指します。
症状として、人との関係を上手く築けない、
ひとつの事に集中できない、
逃げやすいものに依存してしまう、などがあります。
私のパターンでは、親は「産みの親」、「創価学会」、
そして「師匠としての池田先生」でもあります。
アダルトチルドレンのサイトは山ほどあります。
もし興味がある方は参考になさって下さい。
(ごめんなさい、参考ンクを貼ることは控えます)

私がアダルトチルドレンになった原因は以下です。
小さな頃から親が創価学会に狂信的で、
家にほとんどいなかったため、
自分が親の親になったかのように、
「もう親は帰ってこないのかも」と心配した。
親がいない寂しさから、自分は親に対して期待を裏切らず、
良い子でいることで親との関係を保とうと努力した。
学会が唯一の親子の橋渡しなので、
組織で「おかしい」と思う事があっても我慢するしかなかった。
何か問題があり相談しようと思っても、
両親は「祈るしかない」と一言しか言ってくれなかったので、
自分は何でも一人で考えなければいけない重荷を負った。
小さな頃から未来部(小学生)などで
「お父さんとお母さんを大切にしなさい」と
自分を気遣ってくれない両親への孝行をダメ押しされ、
現実と理想の矛盾と戦わなければならなかった。
などなど、です。言い始めたらきりがありません。
そして決定的なのは「共依存」です。
共依存症とは、
<<他人が自分の存在を証明してくれるものとしてあるような
依存的な人間関係>>を言い、
共依存する人は、自分を認めてもらう事実を作るために、
他者を自在にコントロールしたいという欲求があります。
例えば、お酒を飲んで妻に暴力を振るう夫は、お酒を飲むことで、
妻に自分の面倒をみてもらいたがっているのかもしれないし、
妻は酒を飲んだ夫の面倒をみることによって、
自分の生きがいを見いだしているのかもしれません。
普通、おおっぴらに「私は創価学会の会員です」などと言う人はいなく、
家族の中で、また組織の中で、学会員であるという自分の秘密を
皆で共有しています。
心のどこかで、自分が学会員であることを引け目に感じているので、
学会宣言(自分は会員だとカミングアウトすること)が、
全くできない人がゴロゴロいます。
世間一般に体裁の悪い「自分は学会員」という事実を、
会員同士で助け合いながら、あたかも間違っていないことのように
自分に、そして仲間に暗示をかけていきます。
そうやってお互いの絆を深めていくのです。
だからこそ、裏切れない。裏切りをさせない。
だって「ヒミツ」なのだから。
「やめたら死ぬ」や「逆らうと病気になる」という
マインドコントロールは、そういった経緯で発生したものかと思います。
人間の心理を逆手に取った、ものすごく頭の良い商売です。
ここだけの話、組織に残っている人は、
やめていった人に対して「それ、みろ」と思うような
酷い死に方や重い病気を期待しています。
私の母は、学会を反対していた人が亡くなった事に対して、
「死んであの人は私たちに信心を教えてくれたね。
あの人は死ぬまでずっと反対をしていたから、
あんなふうな死に方をしたんだ」と言っていました。
そんなことを言える異常さに、私は娘として鳥肌がたちました。
もう救いようがないです。
私は学会の二世以降の人達に、
アダルトチルドレンの傾向があると思っています。
放り出された寂しさなどのために、
間違っているとわかっていながら活動してしまった。
もしくは間違っているのもわからないまま活動してしまった。
そして、理不尽なことをしてしまう事を、
親の監督責任ということに気がつくことなく、ただ自分を守る為に、
学会や親のためになることをやってしまった。
ここまで来ると、
典型的なアダルトチルドレンになっている危険があります。
親が仕事などでお金を稼ぐ為に忙しいなら納得もいくのですが、
?がいっぱい飛んでるような場所で、
子供を投げ出してまで行く所なのだろうか?という組織に親は居る。
組織も、親も、そしてそれを否定できない自分さえにも
後悔や恨みというネガティブな感情が生まれてきます。
そして子供は自尊心を失っていくのです。
でも、ここで言っておきたいです。
学会で寂しさはなくなりません。
むしろ、異常な師弟関係や、人間関係、
嫌々しなくてはならないことがある、脅されるなど、
そんなものが横行している組織に未来はありません。
強引な勧誘で会員は増えていると思いますが
活動家が増えていないのが良い証拠です。
そこまで我慢して、学会員と一緒にいたいですか?
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2004年10月28日

人はいかに生きるべきか。

チョンガーさんのブログで、このブログを紹介して頂きました。
どうもありがとうございました。
今までの学会のブログはジャーナリズム性が高く、
読んで納得させられるものがとても多いと感じています。
むしろ、私達は客観的に、そして冷静に、
創価学会問題について語っていく事が求められています。
学会員の様にいくら熱く語ったところで、
理路整然と整理され、納得され、理解されないと、
本当に語ったことにはなりません。
このブログも勿論、学会の実際を冷静に語っていきたいと思っています。
しかしながら、表題に掲げたとおり、
創価学会問題の最大の論点は、チョンガーさんのおっしゃられた、
「人はいかに生きるべきか」
「人生の中の宗教とはどういう位置づけなのか」
「毎日はどのように宗教とつながっていくべきか」
です。
私は、このことをブログのど真ん中に置き、
お話していきたいと思っています。
ですから、私のブログには、私が今まで感じたことをストレートに、
尚且つ、自分の経験を交えて訴えていくつもりです。
時々、私と同じ経験をされた方々が私のブログを読み、
過去の辛い思いをフラッシュバックされるかもしれません。
一緒に乗り越えて行きましょう。
このブログは非学会員の方に訴える為のものであり、
それと同時に福子の心を癒すものでありたいと思います。
posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月27日

やっと落ち着いたところで・・・

私は創価学会の三世会員です。
生後1ヶ月の時、自分で何も判断できない頃に有無を言わさず入会。
親子(祖母を含む)で学会のマインドコントロールに翻弄され、
私は何とか現状を脱出、母はまだまだ活動中です。
何かが違うと気づいたのはもう随分前から、
具体的に活動をやめるなどの措置を取ったのは、まだここ3年程のことです。
それまでは、皆から凄い活動家と褒められるほどでした。
気がつくのが遅すぎ。無駄にしてしまった時間は四半世紀です。
学会に深く深くコントロールされていた私は、
創価学会の営利団体としての本質や、教義と活動の不一致など、
現実が見え始めてくると、まるで自分の全てが剥ぎ取られたかのように
心身共にボロボロになってしまいました。
三世会員として、自分のアイデンティティー=学会になっていたのです。
それが全否定されたわけですから、自分の建て直しです。
この3年で、酷い鬱で働けなくなってしまったり、
抗不安薬を飲まなければ生活できなくなってしまったり、
パニック障害との闘い、自助グループでのワークショップ参加、
またアダルトチルドレン問題など、
いろいろな問題にぶつかりました。
現在は回復し、普通に毎日を営んでいます。
学会を冷静に判断できるようになった今、
私のような二世もしくは三世会員で悩んでいる方に
少しでも楽になって頂きたいと思い、
ここに少しづつではありますが、綴っていきたいと思います。
posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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