2004年12月27日

2005年/青年・拡大の年に胸痛む

もうご存知だと思いますが、来年は「青年・拡大の年」。
私の家の仏壇にも、どこぞやの仏壇屋からもらった
青年・拡大の年とでかでかと書かれたスタンドが置いてあります。

これを見て、物凄く心がズキズキしました。
また、私のような、2世・3世問題で悩む人が出てくるのではないか、と。
青年と書いてあるけれど、恐らく未来部とか中・高等部も
この青年の枠の中に入っているのだと思います。
自分の意思で活動をする、しないが決定出来ない人達。
そういう人を更なるコントロールにかけることは絶対にやめて欲しい。

私は今まで、マインドコントロールの外に出たことがありませんでした。
ある意味、守られているけれど、自由のきかない、
それすらも認識できない、今振り返ると真綿で首を絞められている状況でした。
私のように苦しむ人をこれ以上増やしたくありません。
でもどうやっていったらよいか、わかりません。
ブログも毎日の様に書きましたが、
それが本当に役に立っているのかがわからず、
また、今までなかなか出来なかった事に挑戦しているので忙しくなり、
自分なりの答えが出るまで閉鎖することにしました。

しかし、1つだけはっきりとした答えが出たものもありました。
それは、自分のアイデンティティが学会全てになってしまっている
福子という存在は、
まだまだ、まだまだ理解されていないということです。
やはり福子の気持ちは福子しかわからないということが、
返答コメントなどから顕著にわかりました。

コントロールという鉄格子の中で、自分が牢の中にいるということも知らず、
閉じ込められているとわかっても、
力まかせに内側から凄い労力で鉄格子の隙間を広げたり、
鉄を溶かすバーナーをくれ!と叫んだり、とにかく大変な努力が必要なんです。
それはとてつもない労力です。
これは私の経験ですが、
恐ろしい事に、そこまでの精神状態になってしまうと、
いくら幹部に優しい言葉をかけられても、何も聞こえない。
自分をここまで追いやった学会。
それを学会の中でまた解決しようとする幹部。
要するに、幹部不信。幹部は解決できないんです。
幹部だって、優しくて親身になってくださる方はたくさんいます。
実際私の周りでは、私がこのような状態になっても
温かく見守って下さる方がたくさんいます。
でも所詮、幹部は幹部であり、問題の発生源の人々が解決はできないです。
もう自分と学会の間には高い高い垣根があるんです。
七つに割れた頭を無理やり仏法や学会のルールで
元に戻そうとするのではなくて、
「割れていてもいいよ。あなたにはあなたの人生がある。
その人生に気がついた時に、割れた頭はくっつくんだ」と
誰かに言って欲しいのです。
幹部が持ってきた接着剤で頭はくっつかない。
自分でくっつけないと、自分に戻らないんです。
生きることを探求することが仏を保つことではないでしょうか。
それを他者から生かされて、保たされるのは間違っていると思う。

幹部の方々にお願いしたい事があります。
それは、私のような悩む福子を増やさないことです。
的確に物事を判断できる子供に、学会に入会する意思確認をして下さい。
ご本尊を頂く可否を確認してください。
小さくて何もわからない子供に、
「子供の将来の幸せのために入会させる」
という様な親のエゴを押し付けないで下さい。
幹部が思う優しさ、幸せと、
悩む福子が願う優しさ、幸せは違うものなのです。
この段階から、意思を押し付けないということは
とても重要に思います。
「赤ちゃんの幸せの為にも、一家和楽の為にも、
みんなで信心しましょうよ」
なんて、簡単に言わないで下さい。

私は、学会から離れられなくなり、何度も自殺しようとしました。
コントロールはそれほど強いものでした。
死んでしまいたい、死んだら学会から離れられる、
何度もそう考えて、死のうと思いました。
幹部から見たら既に割れているであろう頭を
真っ赤な血が流れるまで殴りつづけてやろうとさえ思っていました。
私の親も、私の将来を考えて、生後一ヶ月で私を入会させました。
しかし、その結果が現在の私です。
他のどんなことを許す事が出来たとしても、
親が断りも無く学会に入会させた事実は一生許しません。
これから同じ境遇の子供がまた誕生すると思うと許さずにはいられず、
また私自身が歩んできた辛い道のりに対して許す事ができません。
今は当時私に対して幸せになって欲しいと思い、良かれと入会させた
その親の気持ちだけをありがたく受け取っています。
(親もコントロールされていたかと思いますが、
とりあえずそれは別の話ということで)

私の思いは決して極端ではなく、
きっと同じ思いで今を過ごしている人が沢山いると思います。
これが最後の投稿になるかと思いますが、
幹部も、二世、三世問題で悩んでいる方々も、
どうか悔いの無い人生を歩まれてください。
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2004年12月05日

心療内科の話

gizmoさんのブログで、心療内科の話があった。

確かにgizmoさんの言うとおりだ。
医者は話を聞くのが仕事だし、患者に対して腫れ物をさわるように接する。
恐らく本人は鬱になったことなどないと思うし、
こいつに何がわかると一蹴したくなったことがある。

心療内科の利用の仕方は「話を聞いてもらう場所」に徹すること。
それ以上のことを望んではいけないと思う。
医者は「こう言われたらこう言い返せば相手の気持ちが落ち着く」という
セオリーを知っているのにすぎない。
(中には心から応援してくれる先生もいるかもしれないが・・・)
薬も落ち着いてきたら自分で止める。
医者はあれこれ飲まそうとするけど、
長期に渡って飲むべきではないと胸に留めておく。

ちなみにベンゾジアゼピン系の抗不安薬は大きな副作用が無いと言われている。
だから病院でも処方しやすいと聞いたことがある。
しかし私は身体的な副作用はないが、ひどい物忘れという副作用と戦っている。
こうして記事を書いている途中、何か単語などをネットで調べたいなと思うと
新しいウィンドウを開いてブックマークをクリックした途端
ほぼ9割がた何をしたかったのか忘れてしまっている。
だからこうしていても今まで書いた記事をすっかり忘れている事もあるので、
同じ事を何度も書くことがあるかもしれないが、ご了承頂きたい。
毎日がメモとの戦いだが・・・よく仕事をしていると思う。
自分で自分を殺したいと一時でも思ってしまった罰だと思っている。

ちなみにブログのログインパスワードを忘れた日にはどうしよ(>_<)
なんて心配もしている。

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2004年12月04日

宗門の学会員折伏教本

日蓮正宗のHPに創価学会員への折伏教本が載っている。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/basics/shakubuku_kyohon/mokuji.html

学会員のどういう行いが違うとか、宗門側からの見解が書かれているが、
読んでいてそうだなと思う所もありつつ、
子供の喧嘩のように
「こういう所が間違っているので早い学会からの脱会をお勧めします」
などという言葉が、ひとつの記事ごとに連呼されていて、
なんだか読むのにも脱力してしまう。

だいたい学会員は池田氏に付いていくのに決まっているので、
宗門と離れた時もさほど問題なく皆で破門になった。
その時に学会へ疑問がつのっていた人は宗門に付いたのだと思う。
直後、誰が宗門に付いたとか付かないとかを調べて
宗門からの脱講をさせるべく家庭訪問などをしていた。
私はどっちに居ても南無妙法蓮華経をたもつことが大切だと思っていたので
ほとんど脱講活動には関心無し。
当時はうちの仏壇にもそれを祈念する項目があがっていたけれど
そんなものはどうでもよかった。

私にとっての心の拠り所は、ご本尊の前に座る事。
静かに自らと向き合い、考え、手を合わせることだ。
私の宗教の観念はそういうもの。
決して嫌々選挙活動したり、新聞啓蒙する事ではない。
もし私という人物の信頼性や人生を通して、
一緒に手を合わせたいという人がいたのなら、
私は喜んで手を引いて共にご本尊に向かうだろう。
無理に引きずり込むのではなく、それが本当の折伏のはずだ。

「折って伏せる」様な布教を「折伏」と言い、
「易しく教えを説き相手がやるというまで待つ」のを「摂受(しょうじゅ)」と言う。
今は折伏の時代と言うが、ここで会員が増えないとなると
学会はとんだ勘違いをしていることになる。

悩んでいる人が目の前に現われるようにと祈るのは
折伏して福運を積みたいからという欲に過ぎない。
それを逆手にとって折伏を促す学会は、やはり営利団体だ。
日蓮聖人がいくら御書で折伏の時代と書いているとはいえ、
本当に日蓮仏法を広めていきたいのなら、折伏は外部のマイナスイメージを考えて
もっとフレキシブルに戦略を立てる必要があるだろう。
街のイベントには積極的に参加するとか、地域の有力者を丸め込むとか、
そんな事じゃ学会は広がらないよ。
一般の人々は学会員よりとっても頭が良くて、
学会員を冷静な目で判断している。

そんなに福運を積みたいのなら自分の今までの振る舞いを改め、
人の気持ちを考えて行動すべきだろう。
そうした方がよっぽど会員は増えるはずだ。

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2004年12月03日

パンプキン中吊り

今朝の通勤電車で、パンプキン12月号の中吊りを見た。

「迫害は”正義”の証拠」という見出しが出ていた。

カルトと慈善団体を比べるのもどうかと思うが、
UNICEFとかJICAのような公色の濃い物は別として、
GREENPEACEとかフォスタープラン協会って
果たして迫害されてるのか?

学会が自分が迫害されてるのは正義だからだと言っているのは
御書にそう書いてあるからかもしれない。
しかし、世の中には学会が言う「学会は良い」「それ以外は悪い」のような
簡単な理由が迫害のものさしになるのではなくて、
やはりそのものに存在する性格とか振る舞い、人望などで
迫害されるかそうでないかが決まると思う。
それが人社会ってものだと思う。学会が一番大切にする「人」だ。

学会はこれから一団体としてやっていきたいのなら、
まず、人はどういうものかという観念を改めるべき。

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2004年12月02日

ほったらかしの私

ともみさんのブログであったように、学会の今の方針としては
精神的な病を抱えている人は放置しているように思う。
自分で自分を「精神病だから放っておいてくれ」と言った私には
あまり学会員からのコンタクトが無いのが証拠。
普通に上からガミガミ言えない分、扱いが厄介だからかもしれないし、
学会が原因で精神的な病にかかる人が多いことを自覚しているのだろう。
自ら命を絶つとかしてもらうと困るだろうし、
実際自殺沙汰が起こって、
学会相手に訴訟を起している家族などもいるかもしれない。
そんなことはあってほしくない一番のことですが。。。

ぶっちゃけると、私は放ったらし加減が心地良い。
もう干渉しないでくれと心から思っていたから。
しかしここまで元気なので、
近所の道端で普通にしている所を見られたら
また幹部の人達はやってくるのだろうな。
けれど何を言われようが私は私のスタンスを貫く。
四半世紀も学会と向き合ってきて、嫌な事もたくさんやった。
ここら辺で生活を変えていかないと、生き方を変えていかないと、
心の底から本当に悔しいこれからを送る事になる。
現在学会から活動を止められてる人達は組織から離れてみて、
自分がやってきた事を客観的に振り返るチャンスがあると思う。
活動をしている以上、とめどなく命令は流れてくるし
それに従っていたら反省したり常識を振り返るチャンスもなかなかないから。
精神を壊してしまう何かが学会にあることを気づいて欲しいと
心から願っています。

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2004年12月01日

世間体

うちの家族はかなり昔から今の土地に住んでいるので、
周りの人は後から引っ越してきた人。
だから学会に入っているからと言って村八分にされることはない。
先手必勝ということだ。
しかし、いつその関係が覆されるがわからない。
その恐ろしさからか、物凄く世間体にはうるさく育てられた。

<下が私がうるさく言われて来た事>

基本的だが絶対に近所の人に挨拶をすること。
夜遅くや朝早くの会合の時など、家の出入りは静かにすること。
ゴミの掃除、家の周りの掃除など、必ず率先して活動すること。
勤行の声や、会合の時の声は控えめにする。
肌を露出したり、色やデザインの派手な洋服を着ない。
髪の毛を茶色くしない。派手な化粧はしない。

ここらへんまでは常識的な事が大半。
ここからはうちの家。

ビジネスアワーに外を歩かない。(仕事をしてないと思われる為)
大人に学会の事をねほりはほり聞かれたら煙に巻く。
(学会内部の事が素直な子供を通じてバレると大変)
日常生活の行いを通して実証を示す。
(勉強でトップになる、運動をする、部活を頑張るなど、
学会員はこんなに幸せなんだと、学会や法華経が正しいということを示す)
人にお願いされた事は率先して引き受ける。
(勿論学会員のお願い事は功徳につながるので引き受ける)
※必要以上に近所と関わり合わない。(学会ネタを避ける為)

ちなみに※に関しては、私が数年海外に留学したのを向いの家が知らない程度。

要は、世間に認めてもらえるような家庭にしようと思っているが、
うちはデリケートな腫れ物も抱えているから核心は伝えなくてもいいのよ、だ。

こんな事をしていると本当に疲れる。
核心は突いて欲しくないのに、良い所ばっかり見せようとする。
私としては嫌々だし、精神の綱渡り状態。
それでみんな病んでいくんだ。

みんな学会の本当の事を隠したがる。
でも隠すのに疲れるから、頑張って周りに認めさせようと頑張ったり、
逆に周りの人を身内にする為に引きずり込んだりしたいのだ。
でもそんなのは古い人達とか、コントロールの強い人だ。
最近は皆、自分の生き方を大事にしたいから、
組織から出たり、適度な距離を取ったりして柔軟にしている。
だから私も、思った以上に幹部にも接触されていない。
一昔前だったら小姑のように付きまとわれていたはずだ。

学会はもう終わりだと思っているのは私だけだろうか。
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2004年11月30日

学会の信憑性

まったく第三者で学会を冷静に褒めてくれる人がいない。
このネット時代に方々検索してみても、
そういう記事が全然ヒットしない。
いつも「こんなに褒められているよ」と言ってるのは
聖教新聞とか、関連する学会のメディアだけ。
要は自分で自慢しているだけなのだ。

やっぱり権力を行使しているからか
一般メディアで取り上げる事はあまりないけれど、
最近はその流れも変わってきていると思う。
結構な頻度で週刊誌が記事を載せている。
昔は週刊誌が書く内容なんて信じなかったけれど、
だいたい火の無いところに煙は立たないというか
やっぱり自業自得だ。
学会員みーんなが博愛奉仕の精神で
世の中に精神的にも物理的にも迷惑がかからないように努力していて、
周囲にとっても責める所など無い状態だったら
煙なんて立たないだろう。
(あまりにも世間に従順だったら
それもまた奇妙なコントロールかもしれないが)

人間として完璧な人なんていないし、
もちろん学会員にも言えることだけれど、
そういうのもまるごと含めて世の中の人には
真実をきちんと知ってもらいたいと思う。

真実を伝えていくのにはどうしたら良いのか、
いかに一人でも多くの人に知ってもらえるか、
ここの所いつも考えている。

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2004年11月29日

学会歌

私は軍歌みたいな学会歌が嫌いだ。

不思議と歌うとおじ様方にこぶしが入る。
勿論手拍子は一拍おきの軍歌ペース。
そして有志が何人か出てきて、
学会のテーマカラーである3色の扇子を広げ
ブンブン振りながら指揮をとっている。
大体は元気な男子部だ。
力があまっているのか、時々扇子が壊れる。
そんなに力いっぱいやってもシラけるだけなのに。
古い歌の歌詞はよく意味のわからない
仏法用語を使っていたりする。
最近は少々軽やかなのも出てきたけれど、
やっぱり根本のビートは軍歌だ。

そして意外に人気があるのが母を讃える曲。
この曲を聴くと涙をためる人がちらほらいる。
父曰く、歌詞が目頭が熱くするのだという。
(気になる人は検索してみるとヒットしますよ)
作詞をした有名人はあえて誰とは言わないが、
私が感じるに、相当なマザコンだと思う。
それにその人は、学会にとって婦人部が一番大切なことを知っている。
仕事を持っている壮年、青年には活動時間の制限があり
婦人が休まずに動けば学会は安泰だからだ。
しかも生活がかかった戦いをしている人は凄まじい。
(子供の進学、借金問題、ダンナのリストラなど)
だから褒めて棚に上げるのだ。

グループごとに作られた歌もある。
小学生が属する少年少女部の歌には
皆で頑張って勇気を持って険しい山を越えていけば
君は輝ける、みたいのがあったり、
それぞれが目標とする事への応援歌になっている。
女子部はここ10年位、やたらアップテンポな歌を歌っていて
歌が得意でない私にとっては舌がもつれるだけだ。
時々ついていけなくて、更にどうでもよくなってしまう。
歌ったところで元気なんて出ないし。
元気なのは前の方に居るパステルカラーの人達だけだ。

色々な歌をよく会合で歌うが、
時々会場になっているうちは住宅の密集地帯なので、
近所に聞こえやしないかいつも不安だ。
覇気よく歌うと近所に迷惑だし、
だからと言って小声で軍歌を歌っても元気は出ないし、
歌う意味って何?と思う。

こんな心配をしているから
私は最後の一歩がなかなか落ち着かない。

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2004年11月28日

詩(うた)

学会は何かあると詩が聖教新聞に掲載される。
池田氏が詠む、会員への激励の詩である。

世界詩歌協会から「世界桂冠詩人」という称号を送られたとされているが、
池田氏がその協会のパトロンになっているとか、
そもそもそんな団体は存在するのか?という疑問が
いつもあちこちで飛び交っている。

私はいつも池田氏の詩を見て思うことがある。
同じ意味を持つ言葉をいくつか派生させて
使い回しているようにしか思えない内容の単純さ。
「あー、またか」「あー、またか」と
いつも平坦でかわりばえのしない表現と内容にうんざりしていた。
確かに激励する言葉と限られてしまえば表現は減るかもしれないが、
それにしてもどの詩を見ても同じだ。

それを幹部はこぞって会合の冒頭で
「先生よりお詩を頂きました!拝読させて頂きます!」と言って
堂々と大勢の会員の前で読んでいるが
私はそのかわりばえのしない詩に拍手もできない。
たぶん私だけでなくて皆そう思っているだろう。
詩も使い捨てのように、皆どんどん忘れていくからだ。
特に詩の一つ一つに特徴がないし・・・
覚えていろと言う方が辛い。

また新年には詩が詠まれるだろう。
「旭日に 君は進まん 幸福道」
とか。

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2004年11月27日

ある女子部の逃走

私の住んでいる地域の女子部が突然引っ越した。
部員である私にも何も告げずに。
今は少々離れた所で一人暮らしをしている。

彼女は結婚の事などの将来について漠然と悩んでいたようだ。
幹部から相当酷い指導を受けたのか、
それから電話は着信拒否、会合は常に欠席、
幹部が家庭訪問しても「会いたくない」の一点張り。
会おうとしても一部員の私など完璧にムリだった。
凄い真面目な人だったので、思いつめてしまったのだろう。
張り詰めていた糸がピンと切れたように
勢い良く引っ越していってしまった。

私はかなりよくしてもらっていたので
告知無しで引っ越した後、自己嫌悪に陥ってしまった。
相談には乗れなかったのだろうか?
そう考えると悔やまれた。

それから少したって、今度は私が彼女の立場になった。
私の家庭訪問がなくなって、部員はどうしているのだろうか。
きちんと会合の連絡はいっているのかな。
一人で勤行はできるようになったかな。
何か大きな病気や怪我はしていないかな。
そうやって今でも心配をしては、祈っている。
私が気にかけているのは部員だ。
決して上の人の私への対応ではない。
上の人などどうでもいい。彼女らは日々の雑用に流されているだけだから。

ここに来てやっと引っ越していった先輩の気持ちがわかる。
一人で去っていくしか、方法がなかったのだ。
マインドコントロールされている周りの人を巻き込んでも
なんの解決にもならないのだ。
逃げるしかなかったのだ。精神戦争をはらんだ逃走だ。

最近、学会はやめる人がある程度いないとダメなのかなと
私は漠然と思うようになった。
徐々に学会のしくみがわかってきた私みたいなのが居たら、
拡大しようとしている組織にとっては邪魔。
入会する人がいて脱会する人がいて、
そうやってうまくコントロールが続くようにしていると思う。

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2004年11月26日

寸鉄

gizmoさんのブログで寸鉄についての記事があった。
http://home.newsch.net/gizmo/

寸鉄とは聖教新聞の端っこの方にある小さな記事で、
新聞全体でも一番汚い言葉遣いで学会の敵を責めたり、
逆に学会を褒めたりする。
しかも大体が皮肉まじりの、言葉遊びみたいな文章だ。

私は以前、寸鉄を担当しているという社員に会った。
見た目は普通のおじさんだった。
記事を書くために、いつもメモを持参していて
何か記事のネタになるものを発見すると
忘れないうちにすかさず書き留めるという。
それにしても表現や言葉が汚い。一般的常識からの見地で。
そんなものを思いついて常に書き留めているということは
いっつも汚い言葉ばっかり考えているということだ。
対談などを読んでも、幹部はかなり言葉が汚いが、
きっと幹部に上がるまでの過程で、
敵を攻めるなり、寸鉄を読むなりして悪影響を受け、
そこまで成長してしまったのかなと思う。
それが本人は正しい事だと思っているのだから
救いようがないというか、元身内として本当に恥ずかしい。

普通に見て、絶対に教育に悪い。
子供に対しても、大人に対しても。
それに言葉の暴力が原因で、
精神を病み、死んでしまう人もいるのだ。
そんな新聞を広めようとしているのだから、
啓蒙している学会人こそ、反平和だなと思う。

もう心から、みんなに目を覚ましてほしい。

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2004年11月25日

派手派手いっちょうら

私の学会暦はクローゼットを見るとわかる。
なぜかと言えば、

パステルカラーのスーツだらけだからである。

学会では幹部はパステルカラーとか
華やかな赤やブルーのスーツを着て大きな会合に行く事になっている。
本部級の会場になると、事前に上からどんな服で行けと
指導されて準備することになる。
爽やかなパステルの服に、黒のショートヘアー。
それが池田氏の好みらしい。
だから女子幹部はすすんでクローンになる。
というか、大きな会合に出るような身分になったら
そうしないと反対に、雰囲気からして普通な自分が浮く。
有無を言わせず、と言った所だろうか。
そんな人達が本部幹部会の中継でずらっと並ぶのだから、
まったく異様な光景だ。

そんな派手な一張羅、
今となってはどこにも着ていける場所が無い。
赤なんて着たら夜の街を闊歩するお水みたいだ。
しかもパステルの服なんて作ってる会社もあまりなくて、
マギーとかフォクシーとか、単価が高いブランドばかり。
だから捨てる事も出来ないし、箪笥のこやし。

一気にオークションとかで売りにでもだしてしまおうか?
そうしたらまた女子部が買うのかな。

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2004年11月24日

人間革命

内部は人間革命の事を略して「人革(にんかく)」と言う。
池田氏の書く会長代々の師弟の物語のタイトルでもあり、
会員一人一人が成長する為に必要な出来事や活動を
人間革命と言ったりする。
「この苦しい時期を越えるのは自分にとっての人間革命だ」
と言った言葉の使い方をする。

小説はチビっ子向けの少年版もあったりして、
本当に小さい頃からよく読んでいた本。
これくらい学校の教科書読んでいたとしたら
私は今頃とんでもなく知的な学者とかになっていたかも。。。

聖教新聞にも連載されているので、
切り抜いては、細長ーい専用のファイルに保管。
(一般紙に連載されている横長の小説のイメージ)
ファイルは近くの仏壇屋とか信濃町の学会グッズの店に売っている。
それを持って会合に集まってはみんなで読んで、
「これが本当の師弟の絆だ!」と教えられる。
こうやって切り取っては新聞に穴を開けるので
活動家が2人以上いる家は、新聞を複数部購読する。
うちでは最高5部を購読していた。
今となっては必要な部分だけコピーした方が安いと気がついているが。

だいたい書いている内容は同じことの繰り返しで、
代々の会長と素晴しい模範の会員とのやりとり。
ここに行ったら誰という素晴しい会員が出迎えてくれたとか、
こういう会合でこんな指導をしたとか。
選挙のウグイス嬢に片足を突っ込んだ時に
担当の幹部に全巻読破を命じられたが、
そう何度も全巻を読んでいるヒマもなく、
まさかウグイスの為に再度全部なんて読むわけもなく、
1、2ページかいつまんで読んで適当な感想を言ったりしていた。

人間革命は学会の歴史だが、
その長く険しい道のりを示す書籍であると共に
怪しい新興宗教の広がりの決定的な証拠でもある。
私としては後者のような形で残ってもらいたいと思う。

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2004年11月23日

選挙の連れ出し

男子部の選挙の連れ出し話を聞いて唖然としたことがある。
選挙当日になれば地域の投票所で待ち伏せはしないけれど、
不在者投票の期間中は、
地域の幹部が役所の玄関で何時間も待機なんてことはザラにある。
内部を激励する為と、外部に公明党と最後の念押し。
こんなことをしているから学会の評判を下げるのだが。

内部は外部を連れ出す為に、
自分も不在者投票に行くからと言って友達を誘う。
それに当日は投票をお願いした人への電話かけとか
内部で投票所までの足がない人の連れ出しをしなくてはならないので
基本的には幹部から不在者投票をすすめられる。

私はたいてい当日に行って、入れたい党へ投票する。念の為。

ある県幹部から投票終了時間の10分前に電話がかかってきた。
「非常に厳しい戦いだから、あと10分で友人に電話して」
だと。
はぁ?
厳しいのはわかるが、言った所で10分で投票所に行けるか?
幹部は下に電話して命令してればいいけれど、
そんなことしたらあなたのかわいい部員が友達失くすぞ?
失くしたら学会は広宣流布できないよ?
それとも失くしてもいいから選挙で勝てばいいのかい?

最低最悪。
マインドコントロールもここまで来ると
れっきとした病気だ。

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2004年11月22日

恋愛問題

ネットで学会員がらみの恋愛問題がよく書かれている。
ユウジンさんもその一人。切実で胸が痛む。
http://www.alcblog.jp/d/2000703/

コントロールにかかりまくり、救いようがなかった私は
小さい頃から二十歳そこそこまで、
自分は男子部の人と結婚すると信じ込んでいた。
そうすると誰にも迷惑をかけずに活動ができる。
家族の顔を伺いながら外出する必要もない。
しかも旦那は活動で頑張って午前様なんだから
私が立派に子供を育てるんだ、などとも思っていた。
ある意味、非会員の人は自分の中で恋愛対象になっていなかったので
学会の事を何も知らない男性を
誰も傷つけてこなかったというのは良かったのかもしれません。
というか、この最悪の事態に早く気づきなよ、自分。

昔の私みたいのと付き合う人は相当な労力を要するだろう。
なにせ非会員と分かり合えると本人じたいが思っていないし、
まったく隔離された世界で純粋培養されている別人種だから。
共存できると一時的に思ってみても
最終的にはお互いわかりあえずに傷つけあうしかない。
その生き方を非会員に押し付けたところで
一般社会人の常識の辞書に自分の価値観が載ることはない。

今から考えると自分で自分に鳥肌がたつ。
周囲が見えてくると、なんて馬鹿馬鹿しいと思う。
活動が世の中に対しても自分に対しても
たいして価値のないことだとわかった途端、
世の中の常識がドドっと私の頭の中に流れ込んできた。

もうそうなったら今までの自分を笑うしかない(笑)
自分の今までの生き様に腹を抱えて笑う。
私はフツウの生活をし、フツウの人と結婚して、
フツウの穏やかな人生を送りたいのだ。
フツウは幸せだ。
もちろん旦那になる人には一緒に子育てもしてもらい、
休日には家族で遊びに行ったり、子供の勉強を見てもらったり、
普通の、ごく普通の家庭をを築きたいのだ。

学会活動は、学会のためになることをするのだから
自分に知識として跳ね返ってくるものは
ごく一般の感覚の持ち主には「カルトは危険」という認識だけ。
学会の中でくっついたカップルなんて、
きっと二人の間で何があっても
「迫害」とか「魔」などという解釈になってしまうのだろう。
そんな理由で世の中の波を越えて行ったら
一般にごく当たり前に起こりうることまで魔になってしまうのだから、
昔の私も含め、なんて頭がとても簡単にできた人達だと思う。
普通のことは普通に考えたい。

ここ何年か、女子部は男子部に期待が持てなくなったのか(?)
外部の男性と結婚する傾向にあるので、
内部の誰と誰が結婚したとかあまり聞きません。
内部どうしで結婚すればそれほど大きな問題も起こらないし
コントロールがかかったままの仲間ですから、
この先会員として存在することはほぼ間違いないでしょう。
この現象は学会にとっては危機的なのかも?と思います。

それにも関わらず、婦人部はせっせと
男子部との見合い話を持ってきますケド・・・
ちなみに私は一度も見合ったことはありません。勿論。
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2004年11月21日

財務(お布施)

仕事が忙しくて週末の更新ができませんでした。
いつもお読みくださっている皆様、ごめんなさい。
健在ですので、これからもよろしくお願いします。

タイトルの「財務」ですが、前にもお伝えした通り、
学会内でのお布施の意味を指します。
毎年一回、年末になると1口1万円を単位に
学会へのお布施をします。
このお布施をする人のことを「広布部員」と言い、
早くも夏の終わりから、希望を募りはじめます。
あらかじめ登録する事で、今の時期くらいには
名前の入った振込用紙が手元に届きます。
振込用紙を配るという名目もあるのですが、
恐らく、どれくらいの収入が見込めるか
申込人数から推し量る為と私は思っています。

その他「ご供養」というこまごまとしたお布施が、
大きな会合ごとに任意で集められます。
新年の勤行会や記念日の会合など、
人がたくさん集まる所には必ず窓口が出来ており、
そこで好きなだけ封筒にお金を入れてお布施をします。

私は今年、もう広布部員の登録を済ませてしまいました。
母に「申込書書いとくわよ」と言われて何となく流され、
その時は歯向かうことに疲れていたこともあり、
そのままになってしまっていました。

土曜日、母に「申し込んだけど、やりたくなければ
振込はしなくてもいいんだよね?」
とダメもとで聞いてみましたが、
「ちゃんと払わないと連絡が来るわよ」と言われ、
そういえば地域の人で振込みが完了してない人の所に
電話連絡が来ていたのを思い出しました。
ちなみにここ最近の母は、
やっと家族の中で孤立していることが理解できたらしく
それが怖くなったのか、あまり大きなことは言いません。
母もコントロールからの開放近し?
だから母への私のあたりも少しやんわりになりました。
だからって学会の味方にはならないけど。

「でもさ、もし申し込みをした時に金持ちで、
振り込む時になって破産してたらその人はどうするの?(バカ)」
「私一人しなくても学会はやっていける」
「財務しないと罰で貧乏になることなんてない」
などと食いついてみましたが、
やっぱり今回の辞退はダメでした。。。
(汚い言葉も言いましたがここでは省略します)
きっと体裁を保つ為に、万が一私が払わなくても
母が払うんだと思います。
最終的に学会にお金が流れる。
それじゃあ、どっちにしろ意味がないよ。

母との会話の中、ああ言えばこう言うで混乱しましたが、
最終的に来年の申し込みはしなくてもよい事になりました。
もし一万円あったら、豪華なランチが3回位食べれる。
私はそういう幸せが欲しいのだ。
ねぇ、母君、聞いてる?

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2004年11月20日

教学試験

今、教学試験の勉強をしている人がたくさんいると思う。
私も今まで随分と勉強をした。
袈裟を着たその筋では偉い誰かさんを僣聖増上慢とか、
何だか都合の良い解釈ばっかり教わりましたが。。。

私がもし次に受験するとしたら、
その級は最近ほとんど試験の予定がされない。
だいぶ内容的にも突き詰めてくると、試験の方式もコロコロ変わる。
面接だけで合格とか、論文書いて合格とか(読書感想文か)、
あるいはペーパーと面接が両方あるとか、
その時によってまちまち。
恐らく答案用紙には
学会にとって迷惑な人や物を破斫しろとかあるだろう。
(破斫(はしゃく)=対象の人物や出来事を御書の見地から
どう悪いのかと説明することです)
そんなのやってられないよと思うのですが、
とにかく御書が勉強できるのなら、私はどんどん突き詰めたい。

そして絶対に自分で納得できる、学会活動の破斫がしたい。

自分が3世として精神的にどういう状態にあるとか
そういうことを医学用語で語ることができるが、
私の弱点は、学会活動の真実を、
組織が御書に反して成り立っている事を
御書を通して証明するのが苦手なこと。
人にはいつか、自分を確立するために
強くならなくてはならない時が来ると思う。
私にとって、まさにそれが今。
自分にとって、何が必要なのか、何が不要なのか。
取捨選択の間に悩み、考える。
それは周りに流されたり、よそ見をしたら
ダラダラと行きたくない方向に体が向いてしまう。
自分が思う方向に進んで行きたい。
そう思ったら、納得行くまで突き詰めたいのだ。
これは長年かかっていたマインドコントロールの後始末だ。

新しい挑戦。

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2004年11月19日

眠れない夜

私にはかなりのペースで眠れない時があった。
喉元まである言葉が上がってきて、
眠れるまで必死に飲み込むのだ。

「土下座してあやまれ」

もちろん、親に向けての言葉である。
私を創価学会に入会させた、両親へである。
少し前まではほぼ毎日こんな感じだったが、
今は時々思い出した様にやってくる。

しかし、だいぶ回復した今は楽に飲み込むことができる。
カウンセリングのたまものだと思う。
あんなに自分を支配していた親の存在が
ものすごく小さくなったのだ。
勿論社会的には、育てる環境を与え、食べ物を与え、
そういう親の存在は大きいだろう。
しかし、落ち着いてきてからは
自分にとっての重荷であった「親」が軽くなって
関係の中で発生する小さなことなどどうでもよくなった。
私は今、私の意志で、何でもできる。
未活動にもなれるし、
客観的に物事を見たいと思ったら目を背けないし、
好きな時に、好きな事ができる。
それは誰にも親にもと咎める事ができない。
私は私。

そして、あなたは、あなたです。
学会で教え込まれた
「お父さんとお母さんを大切にしなさい」。
一般的な意味を考えてください。
単純に子供として親を大切にすることで、
お父さんとお母さんと同じように活動しなさい、
ということではありません。
また、お父さんとお母さんに言われた
「腑に落ちない事」を逆らわずにしなさい、
ということではありません。

あなたはあなたであって、誰も支配できません。
どうかもっと精神が病んでしまう前に、
誰かに話してみて下さい。


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2004年11月18日

中吊り

学会関係の書籍などの宣伝で、
電車の中吊りを見ると、なんだか心が痛む。

雑誌「パンプキン」の広告には、
料理とか家族とかの記事の真横に
裁判で勝った負けたとか、誰が悪いとか
そういう他の記事のレベルまでさげてしまう言葉が並ぶ。
唯一明るい雑誌だと思っていたのに・・・
そう思っている人は少なくないだろう。

学会にとっては、他の記事なんておかずみたいなものなのだろう。
裁判沙汰の話を伝える為に、雑誌が存在するのだと思う。

週末、父が創価新報を読んでいた。
相変わらず目をそらしてしまいたくなる内容だった。
学会って、本当に言葉が汚いという印象を受ける。
それになんとかの一つ覚えみたいに同じ言葉ばかり出てくる。
ちなみに父は創価新報は読むが聖教新聞は読まない。
汚い言葉を読んでいる父は好きではないけれど、
聖教新聞は絶対に読まないのだ。
それって、ちょっと良い傾向(?)だと思う。

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2004年11月17日

ウグイス嬢

私は一度、ウグイス嬢にならないかと誘われて、
なんとなく面接に行ってしまったことがある。
幹部の言って欲しいことなんて手に取るようにわかるので、
適当にその中の言葉を選んで受け答えをしていたら
知らない間に合格していた。
たぶん、そこにいる人達みんなが合格していたと思う。

でも最終的にはどうしてもヤル気が起こらず、
その時にたまたまかかった病気のせいにして辞退した。

よく考えたら、やらなくて良かったなと思う。
町の人達に「私は創価学会人です」って
胸を張って触れ回るのだ。

ここ最近の活動家不足からか、
最近何回かの地元の選挙には十分な数のウグイス嬢が集まらない。
だから、40歳前後の婦人部がウグイスをやっている。
真っ赤な口紅に凄まじいチークのおば様方。
ウグイスって若くないといけないんじゃないのー?など
ちょっとした疑問も残るが、
組織に若者が増えているように思えないのでしょうがない。

気が向いた時、時々会合にも出ていたが、
人口的に若者不足からかどうかはわからないが
とにかく、元気な若者が少ないように思う。
昔に入会した熱心な会員ばかりが残っているのだと思う。
少なくても私のような体験をした人はもう組織にいないと思うし、
それを見てる周りの若者も、つられて未活動になったりする。
私が在席していた地区の人も、
人間関係に耐えられず突然引っ越したり、
地域をまとめる部長をしているのに、
パッタリ部員に連絡を流さなくなった人もいる。
でものうのうと組織にいる。

そういう中途半端なことをしている
「コントロールのかかりそこない」みたいな人もいて、
要点を押さえつつテキトーに活動している人もいるのだ。
その点、自分の考えをつきつめて脱会している人は
すごいなと思う。

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