2004年11月13日

共依存

前に共依存のお話をしましたが、
すごく大切なことなので、もう一度お話したいと思います。

共依存の定義とは、
<<他人が自分の存在を証明してくれるものとしてあるような
依存的な人間関係>>

いまや貧乏でも病人でもないのですが、
昔は、そういった問題を抱えた人の集まるのが学会でした。
とにかく頼れるものが欲しい。
病人が医者を欲したり、
無職の人が仕事を欲したり、
そういうのと同じです。
「祈れば必ずかなう」と言われて、
学会にも、心の拠り所を求めました。
お互いに依存しながら、自分には価値があると感じながら、
学会はどんどん大きくなってきたのです。

私が恐ろしいなと思うのは、
宗教が必要のない人にも、共依存のコントロールがかかることです。
必要がないという以前に、
勝手にマインドコントロールの支配下に入ってしまう、
そういう人がいます。
それが、自分の意思で学会に入っていない二世以降です。
共依存の関係の真ん中に生まれた子供です。

私は、共依存である場所とそうでない所では、
共依存でいることの方が大変だと思います。
依存する為には多大な労力がかかり、
常識的にしてはいけないことも許容しなくてはなりません。

(以前例を出しましたが・・・
お酒を飲んで妻に暴力を振るう夫は、お酒を飲むことで、
妻に自分の面倒をみてもらいたがっているのかもしれないし、
妻は酒を飲んだ夫の面倒をみることによって、
自分の生きがいを見いだしているのかもしれない)

しかし、その共依存が素晴しいものだと勘違いしたら?
上に出した例は、逆の側面から見ると、
暴力を振るっている夫がいつか更生すると信じ、
妻は健気に見守り続けている、とも言えます。

ここで学会お得意の「困った人を幸せにしたい」の登場です。
人助けが美学の学会ですから、
どんどん美しい話に仕立て上げます。
それを見てきた子供たちは、
美しい側面ばかりを見て、物事の本質を見ないまま
学会は正しいことをしているところだと勘違いしてしまいます。
共依存することが自然なのです。

共依存が自然なんて、おかしくないですか?
このまま創大卒の官僚とか大臣とかが、
社会問題を美化するようなことがあったら最悪です。
是非社会の要人には、常識人であって欲しいです。

posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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