2004年11月11日

祈ること

祈ることについてコメントを頂いたので、
それについて私の意見を書きたいと思います。

私は「曼荼羅に向かって祈ること」について、
もしそれで自分の心が落ち着いたり、
考えがまとまったりするのであれば、
それは無理にやめなくてもよいと思います。

だから、もし何かにすがりつきたくて経をとなえるのも、
自分の心が平静で、穏やかになるためにするのであれば
それも全然アリだと思います。

問題は、「祈りと学会組織の関係」です。

自分のために祈るのは、学会内部では「勝手」です。
マインドコントロールにかかった人は、こういう祈り方をします。
必ず「○○という願いをかなえる為に功徳をもらいたいから、
この戦いを頑張る」とか、
「学会の実証を示すために○○という願いをかなえてください」という

何か学会の役に立つことと引き換えに
自分の願いをかなえてもらう祈りをすること。
この2つが完璧にセット扱いなのです。

ここで、矛盾です。
なぜついて行きたくもない組織に良い事をしないと、
自分の願いはかなえられないのか?
答えは簡単です。

それは、この組織は「商売」だからです。
商売を維持する為に、貢献してくれる人が必要なのです。
それをうまい具合にコントロールにかけて
「日蓮仏法を正しく信仰する唯一の団体」ともっともな事を掲げ、
貢献する事と、それで功徳をもらえることとセット販売したのです。

被害から回復する途中で、
祈ることが抜けない人もいるかと思います。
今までの祈り方と、これからの祈り方は違うのだと、
自分の中で定義づけていけばよいと思います。
祈ること=学会への貢献だと感じる人は、
これから少しづつ、コントロールから抜けていけばいい。
無理はしないで下さい。
一気に抜こうとすると、
また頭の整理がつかなくなってしまいます。

実際私は法華経を保ったままですので、
毎日、家族が無事に過ごせるように、仏壇に手を合わせます。
その時に死んだ祖父母のことを思い出したり、
今日は家族にこんなお土産を買ってこようかなとか、
こういう穏やかな心を本当の
「菩薩界」とか「仏界」とかいうものだと思います。

posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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