2004年11月10日

生きる

私は一時、生きるということがどういうことだか忘れかけたことがありました。
心のなかで学会への不信度が100%になり、
福子(親が会員でいやおうなしに入会した人)として
人生の全てだった学会を投げ出そうとしたと同時に
自分というアイデンティティをなくし、
私は本当にこれからどうやって生きていってよいか
全くわからなくなったのです。

その時、私を救ってくれたのは「薬」でした。
薬といっても、麻薬とか違法の薬ではありません。
精神科や心療内科で処方される、「抗不安薬」です。
私は少しの間、心療内科に通っていましたが、
そこに通い始めるのにもかなりの勇気が必要でした。
そういう類の診療を受けるのは、精神病者だと思っていたからです。
私は精神病なんかじゃない、ただ悩んでいるだけなんだと、
心の中で拒否をし続けていました。
しかし、突き詰めて悩んだ時、からっぽで抜け殻の私は
「こんなに悩まないといけないなら死ぬ」と決意してしまったのです。
その時、自分の死の観念と初めて向き合いました。

仕事中でも無意識のうちに涙が出てくるので、
とうとう会社にも通えなくなってしまいました。
近所の道を歩いているとき、小さな子供がお母さんに手を引かれているのを見て、
私も悩みを相談できる親を持ちたかった、
もし相談できたなら、こんなに自分は腐ってなかっただろうと
ふと思いました。
母は会社に通えない私を世間体が悪いと思っていたので、
私が外に出るのを嫌っていました。
死ななければ家に閉じこもる、
死んでも私は学会員による友人葬(会員が経を読んで葬式をすること)。
どんな風に死んでも、どんな風に生きても、
どっちにしろ、学会の思うつぼ。
だったら、退転者と言われようが、反逆者と言われようが、
生きたほうがまだいい、と。
それから私は、自分が生きるためにどうしたら良いか考えました。
まずは心療内科。とにかく生きるためには必要だと判断。
そこで精神科の先生に話を聞いてもらい、
今の状態を診断して薬を処方してもらいました。
それに、通院してみると、患者さんはみんな本当に普通で、
一見、精神的に問題を抱えている人には見えないのです。
うじうじ考えるより、全くもって産むが易しでした。

その薬を飲み始めて、徐々に精神的な落ち着きを取り戻してきました。
落ち着いてくると、周囲のものが冷静に見え始めました。

好きな本を読む自分。
楽しいテレビ番組を見て笑う自分。
気に入っているCDを聞く自分。
そんなたわいもないことが、とても幸せに感じてきたのです。

今まで1000万票獲得の戦いとか、
折伏何世帯の戦いとか、
署名を何万人集める戦いとか、
それはとても大きな規模の目標や戦いを掲げ、
ずっと生きてきました。
そういうものに隠れていた、小さな幸せ。
いつもなら普通にやっていたことが、とても幸せに感じる。
これが世間一般の幸せなんだ、と思った時が
私が一般人としてのアイデンティティを持ち始めた瞬間でした。

ここに来てこのブログを読まれている皆様の中に
もしかしたら、自分の境遇に嫌気がさし、
死ぬことを考えている人がいらっしゃるかもしれません。

死ぬのは、絶対にやめてください。
一人で解決できないのであれば、私にメールを下さってもかまわないし、
心療内科へ行って、話を聞いてもらうこともできます。
話をすることによって気持ちに整理がつき、
物事を主観ではなく、客観的に考えることが出来るようになります。

それに、考えてみてください。
自分の最期の全てが学会に悩む自分だったなんて
悲しすぎませんか?
嫌気が差した学会の為に死んでいくなんて、
私だったら絶対に嫌です。
学会は数年前、
「21世紀になったら、精神病者が増える。
その人たちを助ける学会でありたい」と言いました。
しかし、いまやその学会自体が精神病者メーカーです。
本当に本末転倒、
自分のやっていることが、学会はわかっているのでしょうか。
私は学会なしでも普通に幸せになって、
そして、ちゃんと一般人として復活できたフロンティアとして、
そして学会被害者の味方になって
一生をかけてでもそのたくさんの人の心の病んだ部分を理解したい。
そう思うのです。

どうか、一人で悩まないで下さい。
仲間は潜在的にたくさんいます。
かつて一緒に戦っていた仲間の数人も、
今は組織についていません。
私と同じく、組織に嫌気がさした人たちです。

私はここに来てチャンスが訪れていると思います。
組織が未活動者になってしまった人に対して、
すこし監視を緩めている感じがします。
先日もお話しましたが、活動家が増えていないのです。
このままで行くとお布施もふえないので、
いつ発心するかわからない未活動家も
とにかく脱会しない様に多めに見ている感じがするのです。
私はそのチャンスを使って、本格的に
学会員との交流をやめます。
少年部の頃からの内部の友人などは、
私を察してあたらず触らずで付き合ってくれる人もいます。
しかし、誰か1人に話をすると四者筒抜け。
(四者とは壮年部、婦人部、男子部、女子部です)
勝手に話が流れていて、何でこの人が知ってるの?ということが
日常的にあるので、秘密は守られません。
恐ろしいほどの団結、連絡網です。

posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月09日

有名人が創価学会に入会する理由

会員のおばさんがたの井戸端会議などで聞いた話。
有名人が創価学会に入会する理由は、
「仕事をもらうため」ということです。
入会した事で仕事面で恩恵を受けることができるのです。
例えば、H本M美さんとS田R恵さん。
この二人はかならずセットです。
だからどっちかが人気がなくなったとしても
また出てこれるからOK。
どんな人が入会しているかと研究していると、
テレビでの共演頻度が
また創価学会つながりであることが見えてきます。

あとは、全国1000万人いるという会員が、
CDが出るとか、ビデオが出るということを聞くと
会員のよしみで買ってあげてしまうことです。
有名=学会に貢献していると暗示がかかっているので、
どんどん応援してあげてしまいます。
この貢献していることを、学会の中では
「実証を示す」といいます。
毎日の中で、学会員は自分の組織を認めてもらう為、
いつも「非会員に認めてもらうこと」を
進んでやろうと思っています。
また創価学会が主催している
「民主音楽協会(民音)」の催しに出演できたり、
たくさんの人が見方になってくれるという意味で、
学会員になることはメリットになるのです。

しかし、一般市民には学会員ということを
有名人の方々はカミングアウトしていないようです。
というのは、自分が会員と知っていてもらいたいのは、
仕事を回してくれる業界関係者や、
応援してくれる会員の人だけでいいのですから。
芸能人は組織内の「芸術部」という所へ属すのですが、
著名人が本当に活動しているのかどうかは
一般会員からしてみたら見えない所なので謎です。

posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月08日

鳥居の話

私が小学生の時、6年生の修学旅行と言えば日光でした。
日光といえば、東照宮。東照宮といえばお寺。
そう、お寺や神社に行ったら、してはいけない事があるのです。
それは「鳥居をくぐること」。
私は親から「してはいけないこと」として教えられていました。
「刷り込み」です。
鳥が卵から生まれたら初めに見たものを親と思う、アレと同じです。
こちらの有無は関係ないのです。理由など無く、
してはいけないこと=鳥居をくぐることです。

小学生には少年部という活動グループがあり、
その中ではコミュニティーが出来上がっています。
ですから、「みんなで」鳥居をくぐりません。
私は同じ学会員の友達3人と、鳥居をさけていました。
すると、学級担任が
「なんでくぐらないの?」と聞いてきました。
そりゃ、数人で同じ事をしているので不自然です。
なので、
「私達は自分の宗教関係で鳥居をくぐらないようにしている」と言うと、
担任は秩序を乱している私たちに対してたちまち怒り出し、
「自分の宗教が大事なら他の宗教も大切にしてやれ!」
と怒鳴ったのです。
今から考えてみればごもっともです。
私たちを見た他の生徒はどう思ったのでしょうね。
しかしながら、私たちには反論ができません。
それは、朝起きて周りにおはようと言う様に、
何かしてもらったらありがとうと言う様に、
私達は鳥居をくぐらないんです。反論のしようがありません。

ちなみに私は仏教を保ちながら、キリスト教の
「汝隣人を愛せ」などの言葉はとても好きです。

今は学会のイメージアップを考えて、地域の活動などだったら
お寺や神社のお祭りなどには積極的に参加してもOKと指導がありましたが、
その昔は、他宗教と関わりを持つことはタブーでした。
(今も深く関わる事は禁じられています、もちろん)

今でもそう信じている人がいるのなかぁ、と思うと
その信仰の深さに頭が下がると共に、
少し同情してしまいます。
ついこの間、京都の伏見稲荷神社で
今まで見た事もないような巨大な鳥居をくぐりましたが、
今のところ、罰はあたっておりません。。。
posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月07日

引用の嵐

私はかれこれもう何年も、活動を完全にストップする前から、
同時中継に出席していません。
同時中継とは、本部の大きな会合を、
末端の会館に放送するシステムの事で、
おおむね3日間位は再放送されるので、
みんな自分の都合の良い時間に見に行きます。
池田先生のスピーチが動く画面で見れるので、
だいたいは都合をつけて行くことになります。

私がなぜ行かなかったかというと、

-何日かすると新聞に全文が掲載される。
-熱心な母が勝手に私へ内容を吹き込む。
-先生のスピーチが偉人の引用をしすぎのため、
これなら伝記や、その偉人本人の本を読んだ方がまだまし。

問題は3番目。
必ず「誰これという人がこう言った」で始まる。
そして引用をしまくり、
それをあたかも自分で行ったかのように摩り替える。
この人は自分の言葉で物を言えないものかと
スピーチを聞きながら何度も思ったことがある。
でも、自分の言葉で言ったところで、
それはカルト教団の長の言った言葉でしかない。
オウム麻原が「宙を浮ける」と言っているようなもの。
要は、「偉人の言葉を借りないと
皆に理解してもらえない、
理解される為のとっかかりにもされない」ということです。
実に悲しい、教団の長です。

小さな頃、よく「本を読め」と指導されたのですが、
それって、学会人としての処世術だったのですね。

posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月06日

一家和楽(いっかわらく)

この言葉を聞くと、大体読んで字の如くで、
「仲の良い一家」「楽しい一家」など浮かんでくることでしょう。
これは年がら年中、創価学会で言われている指針のひとつです。
「お父さんとお母さんを大切にしよう」とか、
「家族のお手伝いは進んでしよう」とか、
その指針は小さな頃から別の表現で教え込まれますが、
最終的にはこの言葉に収束します。

一見、まっとうな子供のしつけに見えます。
しかしながら、この言葉は
相当のマインドコントロールを受けている家庭でしか
作用していません。
というのも、のらDOGさんが言われている通り、
和楽にしようとしても、
学会の家族において、
家族の中に常識がある者がいる場合、
絶対に和楽にはならないからです。

和楽、和楽、と教え込まれると、
一家が仲良くしていないとダメと思うようになります。
普通の家族なら、喧嘩とかちょっとした反抗とかを
してしまうときもあると思います。
しかし、これを教え込まれていると、
病的に両親を大切にしなくてはいけないと思うようになったり、
自分の言いたい事を抑えたり、
欲求を抑えたりしながら、家族と付き合っていかなくてはいけません。
これが「コントロールされている状態」です。

学会は家族に「仲良く」して欲しいのです。
そうすると未来の人材が育ち、
会員数の面でも学会の末が安泰なのです。

だからと言って、私は仲たがいを促してはいません。
おかしい、と思ったら、おかしいと言ってもいいことを
わかって頂きたいのです。
もし「おかしい」と感づいたら、
その気持ちを押し殺さずに、自分に素直になって下さい。
押し殺していると、「一家仮面和楽」になります。
演技を続けようと思っても「仮面」、
続けなかったら、もちろん一家和楽にはなりません。
どっちにしろ、なり得ないのです。

私の家では、現在、母のみが活発な活動家です。
父は私の知らない所で常識人に変貌したのか、
時々会合で自分の発言の番になると、
「私が会合に出かけようとすると、娘が悲しそうな顔をして
また行っちゃうの?と聞くんです。
それを思い出すと今でも悲しいです」
などと堂々と言っているのと見かけました。
私はそれを聞いてとても嬉しかったです。
見捨てられてなかった、と。
それから何かあると父に相談をするようになりましたが、
やっぱりコントロールの影響が残っているのか
「折って伏せる」様な言い方をする時があります。
そういう時は無条件に無視します。勿論。
母とは人間の会話ができないので、会話はありません。

posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月05日

顕彰・表彰の話

よく聖教新聞一面に、名誉会長が表彰されたというのが載る。
どこかの大学で名誉教授になったとか、
どこかの国で名誉市民になったとか、そういうのです。


私は前に疑問に思ったことがあり、
表彰元をネットで検索したことがありました。
そうしたら、そう、このネット時代に全くヒットしないのです。
検索ワードを1つも拾わないのです。


それって・・・一体どんな団体から表彰されてるのでしょうか。
とても小さい、マイナーな団体としか思えないのですが。
例えば、私と友人と2人で
「世界平和を広める会」というグループを作ったとしましょう。
その2人で先生に賛同し、
もっともらしい賞状を作り、学会本部に送ります。
すると次の日の聖教新聞には・・・

平和を、人間の権利を訴える団体!
「世界平和を広める会」より名誉会長が表彰!

とか見出しがつくのでしょうか。
賞をお金で買っているというのは有名ですが、
もしかしたら自分を表彰するために団体をつくっているのかも。。。
なんていう憶測だって出てしまいますよね。
何も知らずに新聞を見ては「すごい!」と言っている
日本全国の会員の皆さんがいたたまれないです。

私の母は十数年もの間、聖教新聞の配達をしていました。
小さな頃はよく配達にくっついて回っていました。
時々朝早い会員さんが玄関に出てきて、
「えらいねぇ」と言って
お菓子とか果物をくれたことを覚えています。
その時は「もらえるなんて功徳だね」と母から言われました。
聖教新聞の配達はほぼボランティアなので、
お給料も当時毎日配達しても1000円とか2000円だったように思います。
聖教新聞自体、それほど高くない新聞ですが、
子供ながらに「この薄給、ヤバくないか?」と思いました。
よく考えてみると、聖教新聞社の社員は学会本部役員で、
仕事の時間でも会合へ優先して参加できます。
大きい会合があれば早退もOKです。
そんな環境なので内容の濃い新聞なんてできないし、
本当にぼったくりですね。
(ちなみに私はTV欄でさえ見ません)

posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月04日

御書の不思議

私が思う学会の最大の勝手は、
御書をコントロールしていることです。
御書とは、日蓮聖人が信者に宛てて書いた手紙を、
一冊の本にしたものです。
その中には信者への励ましや、信仰の指針が書かれています。
学会がそれをコントロールしているというのは、
組織活動に都合の良い解釈を信者に流しているということです。

年末の御供養(いわゆるお布施)が近くなると、
「御供養をすると幸せになる、功徳が積める」という御書が必ず出てきます。
内容はこんな具合です。
<<どうしても御供養をしたい。
でもあげるものが何一つもない。
だから土で団子を作って差し出したら、
「その気持ちが大切だ」と言って喜んでくれた。>>

この話を聞いて、会員は感動します。
それはマインドコントロールのたまものです。
人のために走ることこそ美徳とされている組織。
嫌なことでも上手い口でまるめこんでやらせ、
イヤと言えば「薫陶」「試練」「宿命転換」と何かにつけ言われます。
幹部の人達はいつも、
(本当に思っているのか?わからないけど)
池田先生は自分たちのために動いて下さっていると言い、
だから、先生をお守りするためにがんばれと。
そういう環境の中で好きとか嫌いという、
人間として根本的な感覚が麻痺してしまいます。
ですから、土団子でも人を想う気持ちがあればOKという物語に、
(植えつけられてしまった)自分の理想とオーバーラップし、
多額のお布施をしてしまいます。

一口1万円の所、私の両親も一度に100口以上のご供養をしていました。
私は22歳の時に就職してから毎年払い、
健気にも一年で一口づつ増やしていこうと思っていました。
(おばあさんになる頃には毎年いくらすることやら)
若干20代半ばでたいしてお給料ももらっていないと思う仲間が、
100口やりましたという話を聞いたこともあります。
現在ではもうそんな話は笑うしかないです。
学会の資産は、銀行の頭取がどこよりも早くご挨拶に来るくらいですから。
私一人お布施をしなくたって、この先何十年も十分組織を維持できます。


そして、会員に害のある内容は御書に載せていないという話は有名ですが、
「女子部は御書を武器に!」「御書根本!」
と言っておきながら、
座談会(1ヶ月に1回、組織の老若男女が集まる会合です)では
上で申し上げた様な、組織にプラスになるものを勉強し、
長文でもう少し高度な書は、2ヶ月に1度しか勉強会はありません。
それ以上に、難しい言葉で書いてあるので、
みんな講義に出ると、下を向いてほぼ寝ている状態だったり、
違うページの会員の体験談などを読んでしまっています。
居眠り続出の中で講義をする方にも同情したいのですが、
教える方も理解が浅いのが実情で、
質問をしてもちゃんと答えは返ってこないし、
「勉強不足でごめんね。みんなと一緒に勉強しているから」
等と言って、ごまかされます。

ここが学会の、会員を留めておくためのしかけです。
御書、教義一般は、もし突き詰めて勉強をしてしまうと、
学会がどれだけ組織中央部の私利私欲の掃き溜めなのか、
理解をしてしまいます。
言っていることは大義名分、やっていることは商売。
これが学会の本当のところです。

私が最近思うことは、どうせやるなら会員の方々は
思い切って信仰を突き詰めてみるべきです。
指導を受けまくる、同時中継を聞きまくる、
御書を読みまくる、そして矛盾を知る。
そのステップを踏まないと、
本当の意味でのマインドコントロールからは開放されません。
深いコントロールは、それなりに深い理解に基づいて
解決されないといけないのです。

-----------------------------------------------

お引越ししました

まだブログを立ち上げて1週間ほどですが、
ブログ存続の為、こちらへお引越ししてきました。
ブックマークをして頂いていた方、ごめんなさい。

いつまでこのブログを存続できるかわからない為、
これからは、書きたいと思ったことを
一日に何度でも書いていきたいと思います。

posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月03日

お引越ししました

まだブログを立ち上げて1週間ほどですが、
ブログ存続の為、こちらへお引越ししてきました。
ブックマークをして頂いていた方、ごめんなさい。

いつまでこのブログを存続できるかわからない為、
これからは、書きたいと思ったことを
一日に何度でも書いていきたいと思います。

-----------------------------------------------

たくさんの方にこのブログを紹介していただき、
本当に感謝しております。
ここにお世話になっているブログを紹介致します。

世の中はウソが多いから生き辛い
http://www.alcblog.jp/d/2000570/

創価学会体験記
http://blog.goo.ne.jp/free-zu/

心の凪路
http://d.hatena.ne.jp/kokorononagiji/

また、たくさんの書き込みをどうもありがとうございます。
一日で700カウントも跳ね上がり、
更に気を引き締めて、
出来る限りがんばって書いていきたいと思います。

ここで、自助グループについて少し書きたいと思います。
まず初めに、このグループは皆、アダルトチルドレンや
様々な依存症から回復される為に、
皆さんが心の拠り所として通っている場所です。
決して子供の遊び場の様な場所ではありません。
その事だけ胸に留めてお読み下さい。

自助グループの最大の目的は、
「心にたまっている事を言葉に吐き出して、
自分の心を整理すると共に、
同じ悩みを持つ者が共感して理解し合うこと」です。
共通の悩みがあれば話もしやすいし、
聞いてくれる人がいないような特殊な悩みも
(例えば宗教問題とか)
ここで話す事が出来ます。
ここでのルールは、
「言いっぱなし、聞きっぱなし」です。
皆話すだけで、一人の発言を追及したりしません。
元々グループ自体が悩んでいる環境ごとに
カテゴリー分けされているので、
(アダルトチルドレン、アルコール依存…など)
追求することなく、理解ができるのです。
聞いたこと、話したことは、そこで終わり。
なので、「安全な話しの場」として
グループは守られます。

私も少し前まで、グループに通っていました。
特定の固有名詞さえ出てこないものの、
話を聞いていると、創価学会の被害者らしき人は
とてもたくさんいました。
「教義の試験」「友人との対話」「折伏」
などの単語が出てくると、ああそうだなぁ、と。
幹部のあり方などを話す人もいました。
それを聞いて、元幹部であった私は
私自身が加害者であったのではないかと
思い悩むこともありました。
しかし、そうなってしまったのは私のせいではありません。
勝手に入会させたのは親であり、
私にマインドコントロールをしたのは学会です。
このブログを読んでいるみなさんも、
特に二世以降の会員は、
思い悩むこと全てが、決して自分のせいではありません。
参考までに関連書籍をご紹介します。

毒になる親― 一生苦しむ子供
講談社プラスアルファ文庫
スーザン フォワード著

posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月02日

選挙活動

他のブログでは、政治を客観的に描写しているので、
私は内部から見た選挙活動を書きたいと思います。

よく1000万、1000万と、
1千万票獲得する戦いをしていますが、
ここ何年も掲げているのに、この目標は達成されていないようです。
通常、もしいわゆる「会員」が皆1票づつ入れたなら、
あとは厳しい選挙戦を戦わなくても、
ゆうに1000万は集まるという。
それにもかかわらず1000万入らないということは、
会員の中に「選挙退転者」がいるということ。

退転者とは、信心をやめ、学会から離れる人を指す。
しかし、最近となっては組織だけに嫌気が差して
信じる法をを持ちつづけながらも、やめる人が多いのが事実。
だから本当の意味は「組織についていない人」。

実際、学会の中でも公明党に投票していない人が
結構な数でいると聞きます。
Fの数(何人の友人に頼んだかという報告数)も、
末端から中央へ吸い上げると、
日本の人口の何倍もの数が上がってくる。
同じ人に何人かが頼むのこともあるかもしれないですが、
Fが増えなくてプレッシャーに悩んでいる人は
適当に数をごまかして申告しているように思います。
ちなみに私は大真面目に100くらい頼み、
地域の文化会館で体験発表をした経験があります。
今から振り返ると、その時にお願いした友達は、
今はもう、友人でもなんでもない。

選挙といえば、会合。
学会が「武器」としている御書の勉強会はやらないくせに、
選挙の会合だけは毎日でもする。
私はその中で「決起大会」だけに出ていました。
毎日出席しても、言われる事は一緒。
Fの数、内部固め。ただそれだけ。
ハッキリ言って時間の無駄。
そんな時間があったら新しいFでも取ってくれば?と思う。
でも、組織の長なんてどこも同じ。
とにかく自分の見えるところに部下を置いて、
集まらせ、自分の不安を解消する。

選挙が終わるといわゆる「中休み」があります。
友好期間という名目のお休みで、
この期間で友達と会って、投票のお礼をしたり、
また新たな人脈を広げようという期間。
しかし、せっかくの友好期間と言っても、
選挙や新聞啓蒙で失った友人は数知れず。
おばさん方は、大概誘い合わせて近くの温泉に行くとか、
やっぱり内部で楽しむ事になる。

今振り返ると、選挙で失った友達は多いです。
全く組織の活動とは関係ない誘いでも、
こちらから声をかけると断られる。
私は今気がついて本当に良かった。
このまま友達もいないまま死んでいくのはイヤだ。
だからといって組織の中で死ぬのもイヤだ。
私は、組織のコマではなく、人間だから。

posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月01日

皆様にお願い

このブログを立ち上げてから、まだ5日です。
それにも関わらず、カウンターは600を越え、
このトピックに関しての関心の高さを知ったと共に、
声を出している私の責任の大きさを実感しました。
このブログは、創価学会の真実を伝えると同時に、
私のような境遇の方を励ますブログでありたいと思います。
しかし、声を上げていくのは1人では足りません。
ここで共感して頂いた方、
また、自分でブログを立ち上げるのはちょっと・・・
という方、
勇気を出して、書き込みをしてみませんか?
私は皮肉にも、学会の組織活動を通して
皆が団結する事でダメだと思うことも
努力で可能になることを学びました。
どうかお力を貸してください。
意見を皆に伝え、波紋を広げてみませんか?
政治的圧力は、学会が大義名分でダメだと言っているものです。
しかしながら、今の学会はそれ自身が政治的圧力の塊です。
本当にいつまで続けられるかはわからない常態です。
続けられる限り、私はこのブログを続けます。
そして、同じ悩みを持つ方々が
いつでも帰ってくるところでありたいと思います。


------------------------------------------

<週刊ダイヤモンドがんばれ>

少し前、週刊ダイヤモンドが
「創価学会の経済力」という特集をした。
私はそれを見て目を丸くしてしまった。
会社の定期購読雑誌だったので、コソコソ隠れつつ、
休み時間に一気に読んだ。
そしてこう思った。

とうとう来る時が来たのかもな。

メディアのタブーの中には「鶴の記事は書くな」とある。
菊(皇室批判)、鶴(学会批判)、桜(防衛・自衛隊問題)は
現在でも書かない方が良いとされるものです。
しかし今回の記事には、具体的な数字などが記載され、
抽象的な噂話の記事では決してない。
逆にこの潔さに、学会が知名度や権力をアピールするために、
故意に書かせたのではないかと思ってしまうほど。
権力に打ち勝て!などと指針を掲げているが、
むしろそれを振りかざしているのは創価学会の方だ。
でもこういう記事もこれで最後だろう。
定期購読している人以外で買うのは学会員だけだ。
まさか普通の人がお金を出してまで買うことはしないだろう。
時々本のベストセラーランキングに「人間革命(池田大作著)」
などの学会書籍がランクインしていることがあるが、
それは、会員に書籍を販売する際の自らのルートをやめ、
売り上げを社会にアピールするために、
全ての会員に書店で購入させる事にしたためだ。
地域には「書籍責任者」なる者がいて、
担当の会員の書籍の購入数をまとめている。
そして近くの書店で注文する。

雑誌を読みながら、今晩あたり、
会館で血の気が荒い男子部がマイクに叫び、
「こんな雑誌が発売されました!また新たなる魔との戦いです!
この言論戦を断固として勝ちに勝ち抜き、
先生をお守りする戦いをしてまいりましょう!」
などという催しがされるだろうと頭をよぎる。
たぶん彼らから戦いを取ったら何も残らないだろう。

私は「戦い」を小さな時から教えられてきました。
未来部の時は、勉強や、勤行、唱題。
とにかく何でも目標と、その達成の為の戦いをする。
未来の創価の人材を社会に送り出すために、
組織はいろいろとマインドコントロールしているのだ。
成長すれば、数(ノルマ)との戦い。そして理不尽な事との戦い。
とにかく戦ってばっかり。
戦っていると、いつも戦々恐々としているので、
戦わなくていいことまで戦いたくなる。
よくしてくれる友達まで競争相手にしてしまうことがある。
そして普通にしているという感覚が麻痺するので、
ちょっとした事では全く動じなくなる。

辛いこともありましたが、
創価学会から学んだ事があるのも事実です。
それは、世間には常識と非常識があって、
私は常識の世界で生きたいと、わからせてもらったことです。
posted by ありさ at 00:00 | TrackBack(0) | 格納 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。