2004年11月30日

学会の信憑性

まったく第三者で学会を冷静に褒めてくれる人がいない。
このネット時代に方々検索してみても、
そういう記事が全然ヒットしない。
いつも「こんなに褒められているよ」と言ってるのは
聖教新聞とか、関連する学会のメディアだけ。
要は自分で自慢しているだけなのだ。

やっぱり権力を行使しているからか
一般メディアで取り上げる事はあまりないけれど、
最近はその流れも変わってきていると思う。
結構な頻度で週刊誌が記事を載せている。
昔は週刊誌が書く内容なんて信じなかったけれど、
だいたい火の無いところに煙は立たないというか
やっぱり自業自得だ。
学会員みーんなが博愛奉仕の精神で
世の中に精神的にも物理的にも迷惑がかからないように努力していて、
周囲にとっても責める所など無い状態だったら
煙なんて立たないだろう。
(あまりにも世間に従順だったら
それもまた奇妙なコントロールかもしれないが)

人間として完璧な人なんていないし、
もちろん学会員にも言えることだけれど、
そういうのもまるごと含めて世の中の人には
真実をきちんと知ってもらいたいと思う。

真実を伝えていくのにはどうしたら良いのか、
いかに一人でも多くの人に知ってもらえるか、
ここの所いつも考えている。

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2004年11月29日

学会歌

私は軍歌みたいな学会歌が嫌いだ。

不思議と歌うとおじ様方にこぶしが入る。
勿論手拍子は一拍おきの軍歌ペース。
そして有志が何人か出てきて、
学会のテーマカラーである3色の扇子を広げ
ブンブン振りながら指揮をとっている。
大体は元気な男子部だ。
力があまっているのか、時々扇子が壊れる。
そんなに力いっぱいやってもシラけるだけなのに。
古い歌の歌詞はよく意味のわからない
仏法用語を使っていたりする。
最近は少々軽やかなのも出てきたけれど、
やっぱり根本のビートは軍歌だ。

そして意外に人気があるのが母を讃える曲。
この曲を聴くと涙をためる人がちらほらいる。
父曰く、歌詞が目頭が熱くするのだという。
(気になる人は検索してみるとヒットしますよ)
作詞をした有名人はあえて誰とは言わないが、
私が感じるに、相当なマザコンだと思う。
それにその人は、学会にとって婦人部が一番大切なことを知っている。
仕事を持っている壮年、青年には活動時間の制限があり
婦人が休まずに動けば学会は安泰だからだ。
しかも生活がかかった戦いをしている人は凄まじい。
(子供の進学、借金問題、ダンナのリストラなど)
だから褒めて棚に上げるのだ。

グループごとに作られた歌もある。
小学生が属する少年少女部の歌には
皆で頑張って勇気を持って険しい山を越えていけば
君は輝ける、みたいのがあったり、
それぞれが目標とする事への応援歌になっている。
女子部はここ10年位、やたらアップテンポな歌を歌っていて
歌が得意でない私にとっては舌がもつれるだけだ。
時々ついていけなくて、更にどうでもよくなってしまう。
歌ったところで元気なんて出ないし。
元気なのは前の方に居るパステルカラーの人達だけだ。

色々な歌をよく会合で歌うが、
時々会場になっているうちは住宅の密集地帯なので、
近所に聞こえやしないかいつも不安だ。
覇気よく歌うと近所に迷惑だし、
だからと言って小声で軍歌を歌っても元気は出ないし、
歌う意味って何?と思う。

こんな心配をしているから
私は最後の一歩がなかなか落ち着かない。

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2004年11月28日

詩(うた)

学会は何かあると詩が聖教新聞に掲載される。
池田氏が詠む、会員への激励の詩である。

世界詩歌協会から「世界桂冠詩人」という称号を送られたとされているが、
池田氏がその協会のパトロンになっているとか、
そもそもそんな団体は存在するのか?という疑問が
いつもあちこちで飛び交っている。

私はいつも池田氏の詩を見て思うことがある。
同じ意味を持つ言葉をいくつか派生させて
使い回しているようにしか思えない内容の単純さ。
「あー、またか」「あー、またか」と
いつも平坦でかわりばえのしない表現と内容にうんざりしていた。
確かに激励する言葉と限られてしまえば表現は減るかもしれないが、
それにしてもどの詩を見ても同じだ。

それを幹部はこぞって会合の冒頭で
「先生よりお詩を頂きました!拝読させて頂きます!」と言って
堂々と大勢の会員の前で読んでいるが
私はそのかわりばえのしない詩に拍手もできない。
たぶん私だけでなくて皆そう思っているだろう。
詩も使い捨てのように、皆どんどん忘れていくからだ。
特に詩の一つ一つに特徴がないし・・・
覚えていろと言う方が辛い。

また新年には詩が詠まれるだろう。
「旭日に 君は進まん 幸福道」
とか。

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2004年11月27日

ある女子部の逃走

私の住んでいる地域の女子部が突然引っ越した。
部員である私にも何も告げずに。
今は少々離れた所で一人暮らしをしている。

彼女は結婚の事などの将来について漠然と悩んでいたようだ。
幹部から相当酷い指導を受けたのか、
それから電話は着信拒否、会合は常に欠席、
幹部が家庭訪問しても「会いたくない」の一点張り。
会おうとしても一部員の私など完璧にムリだった。
凄い真面目な人だったので、思いつめてしまったのだろう。
張り詰めていた糸がピンと切れたように
勢い良く引っ越していってしまった。

私はかなりよくしてもらっていたので
告知無しで引っ越した後、自己嫌悪に陥ってしまった。
相談には乗れなかったのだろうか?
そう考えると悔やまれた。

それから少したって、今度は私が彼女の立場になった。
私の家庭訪問がなくなって、部員はどうしているのだろうか。
きちんと会合の連絡はいっているのかな。
一人で勤行はできるようになったかな。
何か大きな病気や怪我はしていないかな。
そうやって今でも心配をしては、祈っている。
私が気にかけているのは部員だ。
決して上の人の私への対応ではない。
上の人などどうでもいい。彼女らは日々の雑用に流されているだけだから。

ここに来てやっと引っ越していった先輩の気持ちがわかる。
一人で去っていくしか、方法がなかったのだ。
マインドコントロールされている周りの人を巻き込んでも
なんの解決にもならないのだ。
逃げるしかなかったのだ。精神戦争をはらんだ逃走だ。

最近、学会はやめる人がある程度いないとダメなのかなと
私は漠然と思うようになった。
徐々に学会のしくみがわかってきた私みたいなのが居たら、
拡大しようとしている組織にとっては邪魔。
入会する人がいて脱会する人がいて、
そうやってうまくコントロールが続くようにしていると思う。

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2004年11月26日

寸鉄

gizmoさんのブログで寸鉄についての記事があった。
http://home.newsch.net/gizmo/

寸鉄とは聖教新聞の端っこの方にある小さな記事で、
新聞全体でも一番汚い言葉遣いで学会の敵を責めたり、
逆に学会を褒めたりする。
しかも大体が皮肉まじりの、言葉遊びみたいな文章だ。

私は以前、寸鉄を担当しているという社員に会った。
見た目は普通のおじさんだった。
記事を書くために、いつもメモを持参していて
何か記事のネタになるものを発見すると
忘れないうちにすかさず書き留めるという。
それにしても表現や言葉が汚い。一般的常識からの見地で。
そんなものを思いついて常に書き留めているということは
いっつも汚い言葉ばっかり考えているということだ。
対談などを読んでも、幹部はかなり言葉が汚いが、
きっと幹部に上がるまでの過程で、
敵を攻めるなり、寸鉄を読むなりして悪影響を受け、
そこまで成長してしまったのかなと思う。
それが本人は正しい事だと思っているのだから
救いようがないというか、元身内として本当に恥ずかしい。

普通に見て、絶対に教育に悪い。
子供に対しても、大人に対しても。
それに言葉の暴力が原因で、
精神を病み、死んでしまう人もいるのだ。
そんな新聞を広めようとしているのだから、
啓蒙している学会人こそ、反平和だなと思う。

もう心から、みんなに目を覚ましてほしい。

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2004年11月25日

派手派手いっちょうら

私の学会暦はクローゼットを見るとわかる。
なぜかと言えば、

パステルカラーのスーツだらけだからである。

学会では幹部はパステルカラーとか
華やかな赤やブルーのスーツを着て大きな会合に行く事になっている。
本部級の会場になると、事前に上からどんな服で行けと
指導されて準備することになる。
爽やかなパステルの服に、黒のショートヘアー。
それが池田氏の好みらしい。
だから女子幹部はすすんでクローンになる。
というか、大きな会合に出るような身分になったら
そうしないと反対に、雰囲気からして普通な自分が浮く。
有無を言わせず、と言った所だろうか。
そんな人達が本部幹部会の中継でずらっと並ぶのだから、
まったく異様な光景だ。

そんな派手な一張羅、
今となってはどこにも着ていける場所が無い。
赤なんて着たら夜の街を闊歩するお水みたいだ。
しかもパステルの服なんて作ってる会社もあまりなくて、
マギーとかフォクシーとか、単価が高いブランドばかり。
だから捨てる事も出来ないし、箪笥のこやし。

一気にオークションとかで売りにでもだしてしまおうか?
そうしたらまた女子部が買うのかな。

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2004年11月24日

人間革命

内部は人間革命の事を略して「人革(にんかく)」と言う。
池田氏の書く会長代々の師弟の物語のタイトルでもあり、
会員一人一人が成長する為に必要な出来事や活動を
人間革命と言ったりする。
「この苦しい時期を越えるのは自分にとっての人間革命だ」
と言った言葉の使い方をする。

小説はチビっ子向けの少年版もあったりして、
本当に小さい頃からよく読んでいた本。
これくらい学校の教科書読んでいたとしたら
私は今頃とんでもなく知的な学者とかになっていたかも。。。

聖教新聞にも連載されているので、
切り抜いては、細長ーい専用のファイルに保管。
(一般紙に連載されている横長の小説のイメージ)
ファイルは近くの仏壇屋とか信濃町の学会グッズの店に売っている。
それを持って会合に集まってはみんなで読んで、
「これが本当の師弟の絆だ!」と教えられる。
こうやって切り取っては新聞に穴を開けるので
活動家が2人以上いる家は、新聞を複数部購読する。
うちでは最高5部を購読していた。
今となっては必要な部分だけコピーした方が安いと気がついているが。

だいたい書いている内容は同じことの繰り返しで、
代々の会長と素晴しい模範の会員とのやりとり。
ここに行ったら誰という素晴しい会員が出迎えてくれたとか、
こういう会合でこんな指導をしたとか。
選挙のウグイス嬢に片足を突っ込んだ時に
担当の幹部に全巻読破を命じられたが、
そう何度も全巻を読んでいるヒマもなく、
まさかウグイスの為に再度全部なんて読むわけもなく、
1、2ページかいつまんで読んで適当な感想を言ったりしていた。

人間革命は学会の歴史だが、
その長く険しい道のりを示す書籍であると共に
怪しい新興宗教の広がりの決定的な証拠でもある。
私としては後者のような形で残ってもらいたいと思う。

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2004年11月23日

選挙の連れ出し

男子部の選挙の連れ出し話を聞いて唖然としたことがある。
選挙当日になれば地域の投票所で待ち伏せはしないけれど、
不在者投票の期間中は、
地域の幹部が役所の玄関で何時間も待機なんてことはザラにある。
内部を激励する為と、外部に公明党と最後の念押し。
こんなことをしているから学会の評判を下げるのだが。

内部は外部を連れ出す為に、
自分も不在者投票に行くからと言って友達を誘う。
それに当日は投票をお願いした人への電話かけとか
内部で投票所までの足がない人の連れ出しをしなくてはならないので
基本的には幹部から不在者投票をすすめられる。

私はたいてい当日に行って、入れたい党へ投票する。念の為。

ある県幹部から投票終了時間の10分前に電話がかかってきた。
「非常に厳しい戦いだから、あと10分で友人に電話して」
だと。
はぁ?
厳しいのはわかるが、言った所で10分で投票所に行けるか?
幹部は下に電話して命令してればいいけれど、
そんなことしたらあなたのかわいい部員が友達失くすぞ?
失くしたら学会は広宣流布できないよ?
それとも失くしてもいいから選挙で勝てばいいのかい?

最低最悪。
マインドコントロールもここまで来ると
れっきとした病気だ。

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2004年11月22日

恋愛問題

ネットで学会員がらみの恋愛問題がよく書かれている。
ユウジンさんもその一人。切実で胸が痛む。
http://www.alcblog.jp/d/2000703/

コントロールにかかりまくり、救いようがなかった私は
小さい頃から二十歳そこそこまで、
自分は男子部の人と結婚すると信じ込んでいた。
そうすると誰にも迷惑をかけずに活動ができる。
家族の顔を伺いながら外出する必要もない。
しかも旦那は活動で頑張って午前様なんだから
私が立派に子供を育てるんだ、などとも思っていた。
ある意味、非会員の人は自分の中で恋愛対象になっていなかったので
学会の事を何も知らない男性を
誰も傷つけてこなかったというのは良かったのかもしれません。
というか、この最悪の事態に早く気づきなよ、自分。

昔の私みたいのと付き合う人は相当な労力を要するだろう。
なにせ非会員と分かり合えると本人じたいが思っていないし、
まったく隔離された世界で純粋培養されている別人種だから。
共存できると一時的に思ってみても
最終的にはお互いわかりあえずに傷つけあうしかない。
その生き方を非会員に押し付けたところで
一般社会人の常識の辞書に自分の価値観が載ることはない。

今から考えると自分で自分に鳥肌がたつ。
周囲が見えてくると、なんて馬鹿馬鹿しいと思う。
活動が世の中に対しても自分に対しても
たいして価値のないことだとわかった途端、
世の中の常識がドドっと私の頭の中に流れ込んできた。

もうそうなったら今までの自分を笑うしかない(笑)
自分の今までの生き様に腹を抱えて笑う。
私はフツウの生活をし、フツウの人と結婚して、
フツウの穏やかな人生を送りたいのだ。
フツウは幸せだ。
もちろん旦那になる人には一緒に子育てもしてもらい、
休日には家族で遊びに行ったり、子供の勉強を見てもらったり、
普通の、ごく普通の家庭をを築きたいのだ。

学会活動は、学会のためになることをするのだから
自分に知識として跳ね返ってくるものは
ごく一般の感覚の持ち主には「カルトは危険」という認識だけ。
学会の中でくっついたカップルなんて、
きっと二人の間で何があっても
「迫害」とか「魔」などという解釈になってしまうのだろう。
そんな理由で世の中の波を越えて行ったら
一般にごく当たり前に起こりうることまで魔になってしまうのだから、
昔の私も含め、なんて頭がとても簡単にできた人達だと思う。
普通のことは普通に考えたい。

ここ何年か、女子部は男子部に期待が持てなくなったのか(?)
外部の男性と結婚する傾向にあるので、
内部の誰と誰が結婚したとかあまり聞きません。
内部どうしで結婚すればそれほど大きな問題も起こらないし
コントロールがかかったままの仲間ですから、
この先会員として存在することはほぼ間違いないでしょう。
この現象は学会にとっては危機的なのかも?と思います。

それにも関わらず、婦人部はせっせと
男子部との見合い話を持ってきますケド・・・
ちなみに私は一度も見合ったことはありません。勿論。
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2004年11月21日

財務(お布施)

仕事が忙しくて週末の更新ができませんでした。
いつもお読みくださっている皆様、ごめんなさい。
健在ですので、これからもよろしくお願いします。

タイトルの「財務」ですが、前にもお伝えした通り、
学会内でのお布施の意味を指します。
毎年一回、年末になると1口1万円を単位に
学会へのお布施をします。
このお布施をする人のことを「広布部員」と言い、
早くも夏の終わりから、希望を募りはじめます。
あらかじめ登録する事で、今の時期くらいには
名前の入った振込用紙が手元に届きます。
振込用紙を配るという名目もあるのですが、
恐らく、どれくらいの収入が見込めるか
申込人数から推し量る為と私は思っています。

その他「ご供養」というこまごまとしたお布施が、
大きな会合ごとに任意で集められます。
新年の勤行会や記念日の会合など、
人がたくさん集まる所には必ず窓口が出来ており、
そこで好きなだけ封筒にお金を入れてお布施をします。

私は今年、もう広布部員の登録を済ませてしまいました。
母に「申込書書いとくわよ」と言われて何となく流され、
その時は歯向かうことに疲れていたこともあり、
そのままになってしまっていました。

土曜日、母に「申し込んだけど、やりたくなければ
振込はしなくてもいいんだよね?」
とダメもとで聞いてみましたが、
「ちゃんと払わないと連絡が来るわよ」と言われ、
そういえば地域の人で振込みが完了してない人の所に
電話連絡が来ていたのを思い出しました。
ちなみにここ最近の母は、
やっと家族の中で孤立していることが理解できたらしく
それが怖くなったのか、あまり大きなことは言いません。
母もコントロールからの開放近し?
だから母への私のあたりも少しやんわりになりました。
だからって学会の味方にはならないけど。

「でもさ、もし申し込みをした時に金持ちで、
振り込む時になって破産してたらその人はどうするの?(バカ)」
「私一人しなくても学会はやっていける」
「財務しないと罰で貧乏になることなんてない」
などと食いついてみましたが、
やっぱり今回の辞退はダメでした。。。
(汚い言葉も言いましたがここでは省略します)
きっと体裁を保つ為に、万が一私が払わなくても
母が払うんだと思います。
最終的に学会にお金が流れる。
それじゃあ、どっちにしろ意味がないよ。

母との会話の中、ああ言えばこう言うで混乱しましたが、
最終的に来年の申し込みはしなくてもよい事になりました。
もし一万円あったら、豪華なランチが3回位食べれる。
私はそういう幸せが欲しいのだ。
ねぇ、母君、聞いてる?

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2004年11月20日

教学試験

今、教学試験の勉強をしている人がたくさんいると思う。
私も今まで随分と勉強をした。
袈裟を着たその筋では偉い誰かさんを僣聖増上慢とか、
何だか都合の良い解釈ばっかり教わりましたが。。。

私がもし次に受験するとしたら、
その級は最近ほとんど試験の予定がされない。
だいぶ内容的にも突き詰めてくると、試験の方式もコロコロ変わる。
面接だけで合格とか、論文書いて合格とか(読書感想文か)、
あるいはペーパーと面接が両方あるとか、
その時によってまちまち。
恐らく答案用紙には
学会にとって迷惑な人や物を破斫しろとかあるだろう。
(破斫(はしゃく)=対象の人物や出来事を御書の見地から
どう悪いのかと説明することです)
そんなのやってられないよと思うのですが、
とにかく御書が勉強できるのなら、私はどんどん突き詰めたい。

そして絶対に自分で納得できる、学会活動の破斫がしたい。

自分が3世として精神的にどういう状態にあるとか
そういうことを医学用語で語ることができるが、
私の弱点は、学会活動の真実を、
組織が御書に反して成り立っている事を
御書を通して証明するのが苦手なこと。
人にはいつか、自分を確立するために
強くならなくてはならない時が来ると思う。
私にとって、まさにそれが今。
自分にとって、何が必要なのか、何が不要なのか。
取捨選択の間に悩み、考える。
それは周りに流されたり、よそ見をしたら
ダラダラと行きたくない方向に体が向いてしまう。
自分が思う方向に進んで行きたい。
そう思ったら、納得行くまで突き詰めたいのだ。
これは長年かかっていたマインドコントロールの後始末だ。

新しい挑戦。

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2004年11月19日

眠れない夜

私にはかなりのペースで眠れない時があった。
喉元まである言葉が上がってきて、
眠れるまで必死に飲み込むのだ。

「土下座してあやまれ」

もちろん、親に向けての言葉である。
私を創価学会に入会させた、両親へである。
少し前まではほぼ毎日こんな感じだったが、
今は時々思い出した様にやってくる。

しかし、だいぶ回復した今は楽に飲み込むことができる。
カウンセリングのたまものだと思う。
あんなに自分を支配していた親の存在が
ものすごく小さくなったのだ。
勿論社会的には、育てる環境を与え、食べ物を与え、
そういう親の存在は大きいだろう。
しかし、落ち着いてきてからは
自分にとっての重荷であった「親」が軽くなって
関係の中で発生する小さなことなどどうでもよくなった。
私は今、私の意志で、何でもできる。
未活動にもなれるし、
客観的に物事を見たいと思ったら目を背けないし、
好きな時に、好きな事ができる。
それは誰にも親にもと咎める事ができない。
私は私。

そして、あなたは、あなたです。
学会で教え込まれた
「お父さんとお母さんを大切にしなさい」。
一般的な意味を考えてください。
単純に子供として親を大切にすることで、
お父さんとお母さんと同じように活動しなさい、
ということではありません。
また、お父さんとお母さんに言われた
「腑に落ちない事」を逆らわずにしなさい、
ということではありません。

あなたはあなたであって、誰も支配できません。
どうかもっと精神が病んでしまう前に、
誰かに話してみて下さい。


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2004年11月18日

中吊り

学会関係の書籍などの宣伝で、
電車の中吊りを見ると、なんだか心が痛む。

雑誌「パンプキン」の広告には、
料理とか家族とかの記事の真横に
裁判で勝った負けたとか、誰が悪いとか
そういう他の記事のレベルまでさげてしまう言葉が並ぶ。
唯一明るい雑誌だと思っていたのに・・・
そう思っている人は少なくないだろう。

学会にとっては、他の記事なんておかずみたいなものなのだろう。
裁判沙汰の話を伝える為に、雑誌が存在するのだと思う。

週末、父が創価新報を読んでいた。
相変わらず目をそらしてしまいたくなる内容だった。
学会って、本当に言葉が汚いという印象を受ける。
それになんとかの一つ覚えみたいに同じ言葉ばかり出てくる。
ちなみに父は創価新報は読むが聖教新聞は読まない。
汚い言葉を読んでいる父は好きではないけれど、
聖教新聞は絶対に読まないのだ。
それって、ちょっと良い傾向(?)だと思う。

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2004年11月17日

ウグイス嬢

私は一度、ウグイス嬢にならないかと誘われて、
なんとなく面接に行ってしまったことがある。
幹部の言って欲しいことなんて手に取るようにわかるので、
適当にその中の言葉を選んで受け答えをしていたら
知らない間に合格していた。
たぶん、そこにいる人達みんなが合格していたと思う。

でも最終的にはどうしてもヤル気が起こらず、
その時にたまたまかかった病気のせいにして辞退した。

よく考えたら、やらなくて良かったなと思う。
町の人達に「私は創価学会人です」って
胸を張って触れ回るのだ。

ここ最近の活動家不足からか、
最近何回かの地元の選挙には十分な数のウグイス嬢が集まらない。
だから、40歳前後の婦人部がウグイスをやっている。
真っ赤な口紅に凄まじいチークのおば様方。
ウグイスって若くないといけないんじゃないのー?など
ちょっとした疑問も残るが、
組織に若者が増えているように思えないのでしょうがない。

気が向いた時、時々会合にも出ていたが、
人口的に若者不足からかどうかはわからないが
とにかく、元気な若者が少ないように思う。
昔に入会した熱心な会員ばかりが残っているのだと思う。
少なくても私のような体験をした人はもう組織にいないと思うし、
それを見てる周りの若者も、つられて未活動になったりする。
私が在席していた地区の人も、
人間関係に耐えられず突然引っ越したり、
地域をまとめる部長をしているのに、
パッタリ部員に連絡を流さなくなった人もいる。
でものうのうと組織にいる。

そういう中途半端なことをしている
「コントロールのかかりそこない」みたいな人もいて、
要点を押さえつつテキトーに活動している人もいるのだ。
その点、自分の考えをつきつめて脱会している人は
すごいなと思う。

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2004年11月16日

近況報告

勝手気ままにつらつらと書いてきましたが、
本当の所、私は今どんな状況なの?という自分の確認も含め、
少し書いてみたいと思います。

現在未活動。
最近は内部からの連絡もあまりこなくなって
毎日割に自由です。
先日スーパーのエレベーターで地域の婦人部長と遭遇。
しかし完璧にそっぽを向いて無視され、
ちょっと世間話でもしてみようかなと思ったけれど
向こうから拒絶してきたのでちょっとホッ。
内部の人にはものすごくあたりがいい人なのに、
所詮完璧に去ってしまった者に対しては
こういう扱いしかできない人なのね。

抗不安薬の服薬は、もうかれこれ2年以上なし。
服薬していても1年弱でした。
今は精神的に落ち着いたというか、肝が座った!?
ということでこのブログを運営しています。

アダルトチルドレン問題は、ほとんど収束しています。
自助グループへの参加、関連した本を片っ端から読んだり、
チャイルドセラピーという、自分のチャイルドに会うワークショップに参加したり、
とにかく出来ることをなんでもやってきました。
自分のチャイルドに出会うと、今までどれだけ自分を出してこれなかったか
手に取るように理解できるようになり、
それでだいぶ、自分の治療の方向性が見えてきました。
私が劇的に回復したのは、チャイルドの欲求や考えを意識して
毎日を過ごすようになったためです。

今は私自身、とても冷静に物事を判断できるようになりました。
これからもこの調子で書いていこうと思います。

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2004年11月15日

学会員の裏表

gizmoさんのブログで、
「学会員、偽りの暖かさ」という記事を読ませて頂きました。

http://home.newsch.net/gizmo/

私は学会員の恩着せがましいところが好きではありません。
民音チケットのノルマを達成する為に無理やりチケット購入をお願いし、
その見返りに遠方の会合に行くときに車を出す羽目になったり、
新聞啓蒙が出来ない時にノルマの数に達するために、
近くの人どうしで数をあげあったりすることが日常です。

学会の組織を大きくするために
悩んでいる人を見つけて布教するのは絶対だ。
そういう対象の人にはものすごくあたりがソフトだ。
けれど、入会したらほったらかしにされることも多々あるし、
悩みなどをどうにかしようとして入会して、
これから日々の暗黙の了解みたいな人間の裏表に
ついていかなければならないのかと思うとこちらも胸が痛い。

しかしながら、悲しい性です。
何かをしてあげて見返りが戻ってこないと
やってられないような寂しい組織。
団結が美学で見返りを求めたとしても、
仲間を無条件で守るとか、祈るとか、助けるとか、
そういうことが出来る人ってあまりいない。

日蓮大聖人の大慈悲に包まれているであろう学会に、
慈悲を持って活動してる人っていないのですか?

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2004年11月14日

宗教脱会者のために自助グループ紹介

宗教カルトなどからの脱会者のために特別に設置されたミーティングがあります。

ここには、学会被害者だけではなく、
様々なカルトの被害者が集まって、
「言いっぱなし、聞きっぱなし」の法則にのっとって
自分の心に詰まった、誰にも言えない、理解されないことを、
宗教被害者どうし語っています。

「脱会者のためのグループ」とYahoo検索すると出てくるのですが、
もし詳細を知りたいのであれば、私にメールを下さい。
私が参加した時の状況しかお話できませんが、
何かしらのお役に立てると思います。

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2004年11月13日

共依存

前に共依存のお話をしましたが、
すごく大切なことなので、もう一度お話したいと思います。

共依存の定義とは、
<<他人が自分の存在を証明してくれるものとしてあるような
依存的な人間関係>>

いまや貧乏でも病人でもないのですが、
昔は、そういった問題を抱えた人の集まるのが学会でした。
とにかく頼れるものが欲しい。
病人が医者を欲したり、
無職の人が仕事を欲したり、
そういうのと同じです。
「祈れば必ずかなう」と言われて、
学会にも、心の拠り所を求めました。
お互いに依存しながら、自分には価値があると感じながら、
学会はどんどん大きくなってきたのです。

私が恐ろしいなと思うのは、
宗教が必要のない人にも、共依存のコントロールがかかることです。
必要がないという以前に、
勝手にマインドコントロールの支配下に入ってしまう、
そういう人がいます。
それが、自分の意思で学会に入っていない二世以降です。
共依存の関係の真ん中に生まれた子供です。

私は、共依存である場所とそうでない所では、
共依存でいることの方が大変だと思います。
依存する為には多大な労力がかかり、
常識的にしてはいけないことも許容しなくてはなりません。

(以前例を出しましたが・・・
お酒を飲んで妻に暴力を振るう夫は、お酒を飲むことで、
妻に自分の面倒をみてもらいたがっているのかもしれないし、
妻は酒を飲んだ夫の面倒をみることによって、
自分の生きがいを見いだしているのかもしれない)

しかし、その共依存が素晴しいものだと勘違いしたら?
上に出した例は、逆の側面から見ると、
暴力を振るっている夫がいつか更生すると信じ、
妻は健気に見守り続けている、とも言えます。

ここで学会お得意の「困った人を幸せにしたい」の登場です。
人助けが美学の学会ですから、
どんどん美しい話に仕立て上げます。
それを見てきた子供たちは、
美しい側面ばかりを見て、物事の本質を見ないまま
学会は正しいことをしているところだと勘違いしてしまいます。
共依存することが自然なのです。

共依存が自然なんて、おかしくないですか?
このまま創大卒の官僚とか大臣とかが、
社会問題を美化するようなことがあったら最悪です。
是非社会の要人には、常識人であって欲しいです。

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2004年11月12日

プライバシー

学会では何かあると必ず
「何でも話せる先輩はいる?」と聞かれる。

学会の中で信頼を寄せて何でも話せる人は皆無に近い。
信頼して話したはずなのに、
次の日には他の人もみんな話した内容を知っていたりする。
こういうことがあるから、組織はイヤだ。

しかも最近、会員は物凄く事務的になってきた。
私が小さい頃は、もっと内部の人間関係は暖かかったように思う。
(親が多忙な為)こっちの家にご飯がなかったら
あっちの家に食べに行ったり、
泊まらせてもらったり、
家族ぐるみの付き合いをしていた。

けれど最近は社会全体がドライになってきたのもあって、
組織の中もかなりドライだ。
みんなが自分のプライバシーを守りながら活動している。
でも、自分のプライバシーは守りたいくせに、
夜遅い時間とか、自分の都合の良い勝手な時間に
部員の所へ押しかけたり、電話をしたりする。

ちなみに私は非常識な時間にかかってきた電話には出ない。
家族とかよく話している親友ならまだしも、
学会員には常識をわかってもらう必要があるので、
必ず昼間に対応することにしている。

それに、男子部は日付が変わっても活動している。
あれこれをしていたら○時になってしまい、
からくり時計からどのメロディーが流れてきた、とか、
前にコメントにも書いたが、
身を投げ打って先生の為に活動し、
血尿が出たら、それが立派な勲章なのだそうだ。
こういう活動の場になっている地区の拠点や
部員の家には多大な迷惑がかかることになる。
でも大概は貸さないとは言わない。
自分の家を会場として提供する事で、
功徳がもらえると信じているから。

すごい共依存だ。
プライバシーでさえ、飲み込んでしまう。

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2004年11月11日

祈ること

祈ることについてコメントを頂いたので、
それについて私の意見を書きたいと思います。

私は「曼荼羅に向かって祈ること」について、
もしそれで自分の心が落ち着いたり、
考えがまとまったりするのであれば、
それは無理にやめなくてもよいと思います。

だから、もし何かにすがりつきたくて経をとなえるのも、
自分の心が平静で、穏やかになるためにするのであれば
それも全然アリだと思います。

問題は、「祈りと学会組織の関係」です。

自分のために祈るのは、学会内部では「勝手」です。
マインドコントロールにかかった人は、こういう祈り方をします。
必ず「○○という願いをかなえる為に功徳をもらいたいから、
この戦いを頑張る」とか、
「学会の実証を示すために○○という願いをかなえてください」という

何か学会の役に立つことと引き換えに
自分の願いをかなえてもらう祈りをすること。
この2つが完璧にセット扱いなのです。

ここで、矛盾です。
なぜついて行きたくもない組織に良い事をしないと、
自分の願いはかなえられないのか?
答えは簡単です。

それは、この組織は「商売」だからです。
商売を維持する為に、貢献してくれる人が必要なのです。
それをうまい具合にコントロールにかけて
「日蓮仏法を正しく信仰する唯一の団体」ともっともな事を掲げ、
貢献する事と、それで功徳をもらえることとセット販売したのです。

被害から回復する途中で、
祈ることが抜けない人もいるかと思います。
今までの祈り方と、これからの祈り方は違うのだと、
自分の中で定義づけていけばよいと思います。
祈ること=学会への貢献だと感じる人は、
これから少しづつ、コントロールから抜けていけばいい。
無理はしないで下さい。
一気に抜こうとすると、
また頭の整理がつかなくなってしまいます。

実際私は法華経を保ったままですので、
毎日、家族が無事に過ごせるように、仏壇に手を合わせます。
その時に死んだ祖父母のことを思い出したり、
今日は家族にこんなお土産を買ってこようかなとか、
こういう穏やかな心を本当の
「菩薩界」とか「仏界」とかいうものだと思います。

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