2004年10月31日

いったい神様は誰だ?

今更言うまでもないと思うのですが、
創価学会は名誉会長を神とする唯一神教。それが真実です。
日蓮仏法を遵守する唯一の団体とアピールしていますが、
日蓮の教えなどは、今となってはもう皆無で、
ひとつの商売として成り立つような、
自分の都合の良いルールに変えてしまっています。
五座・三座の勤行(仏壇へ向かい祈ること)をSGI式勤行に変更する
(長い経文から短時間で読める短い経文へ)、
御観念文(本尊に祈る事柄をまとめたもの)の変更など、
例を挙げていくときりがありません。
会員の楽なほうへ。楽なほうへ。
やっぱりルールを簡単にしないと誰もついてこれないのでしょうか。
ここ数年、学会は「お守りご本尊」として、
ちいさなプラスチックケースに入った曼荼羅(まんだら)を配り始めました。
配るというか、1つ5000円で販売なのですが。
お守りを配られる人は払う必要はほとんどないようです。
私の知り合いには自分でお金を払ってまでもらった人はいないです。
しかし男子部の一部・女子部は独身で5000円の負担は高価なので、
私がいた地域では、自分の地域のノルマに達するのならと、
おじさん、おばさんたちが喜んで払ってくれます。
このお守りを配り始める前夜、急に召集がかかりました。
ここで皆、学会の崩壊地図を見たのです。
地域の婦人部長が私たちにこんな事を言いました。
「もう学会の広がりは行き止まりを感じています。
ですから、曼荼羅(紙のまんだら)を仏壇に飾れない人のために、
お守りを配って広宣流布(教えを広めること)をします。」
私たち真面目ちゃんは、本当にこれでいいのだろうかと
婦人部長に食って掛かったのを覚えています。
やはり祈りの中心は仏壇の曼荼羅ですから。
それにお守りとは、先生がいつも首にかけていて、
一般会員にはそうそうにもらえない、
貢献した人や、偉い人しかもっていないものなのです。
海外に長期滞在をした時にお借りしたした時は、
本当にすごいものを借りてしまったと、
とても緊張していたのを覚えています。
でも根本的にご本尊は「胸中の肉団におわしますなり」。
(御書では胸中の肉団(みぞおちのあたり=心)に
ご本尊は存在するのだと言われています)
だから広宣流布の為には、曼荼羅でもお守りでも
そういう流布の仕方もアリだと。
逆に言えば、要は信心があれば
どちらもいらないという事になってしまうのですが。
それもちょっと違うのでは?と思いながらも
婦人部の鍛え上げられた巧みな話術で
うまい具合に言いくるめられつつ、
本当に真に受けてしまった部員さんは
「お守りなら友人や親戚に持ってもらえるかも」と
小さな光を見つけた人もいたようです。
普通のお守りみたいに持てるのであれば敷居も低い。
しかしその考えは甘いです。
普通の曼荼羅でも、お守りでも、学会のイメージはイメージ。
本尊を保ちやすいということなど、問題ではないのです。
非会員とって、学会はどこまでいってもカルトなのです。
ノルマはもちろん達成などできません。
うちは母がまだ活動をしていますが、母の周りでは、
ご本尊送り(本尊を未会員に授与すること)をしたという話は
ここ一年以上聞いていません。
最近は選挙で忙しいですし。
私が信じていた学会の組織に不安や疑問を募らせていったのは
まさしくこの頃です。
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2004年10月30日

創価学会 vs. アダルトチルドレン問題

唐突ですが、私はアダルトチルドレンです。
自分を再建するのにあたり、気がついたひとつの過程です。
それに気がついたのはほんの少し前です。3年位前でしょうか。
アダルトチルドレンの定義とは、
「子供の頃の親との関係が原因で、
生きづらさの問題を抱えている人」。
もともとアルコール中毒の親を持つ子供のことで、
親の中毒を世間から隠す為に子供が色々な努力をし、自分を苦しめ、
素直で無邪気な子供であることを通らないまま大人になってしまい、
ずっとあとあとまで情緒が不安定になる1つの精神状態です。
親とは元々子供を健全に愛情をかけて育てる義務があり、
それが子供にとって感じられないばかりに、
良い子になり、親に認められようと必死に頑張ったりします。
良い子の役回りを選ぶ子はまだ救いがあるのですが、
迷惑をかけることで親の気を引こうとする子もいます。
そういう子供は警察のお世話になったり、薬物に走ったり、
家庭内暴力の原因になったりします。
今では広く、家族機能が不全である家の子供を指します。
症状として、人との関係を上手く築けない、
ひとつの事に集中できない、
逃げやすいものに依存してしまう、などがあります。
私のパターンでは、親は「産みの親」、「創価学会」、
そして「師匠としての池田先生」でもあります。
アダルトチルドレンのサイトは山ほどあります。
もし興味がある方は参考になさって下さい。
(ごめんなさい、参考ンクを貼ることは控えます)

私がアダルトチルドレンになった原因は以下です。
小さな頃から親が創価学会に狂信的で、
家にほとんどいなかったため、
自分が親の親になったかのように、
「もう親は帰ってこないのかも」と心配した。
親がいない寂しさから、自分は親に対して期待を裏切らず、
良い子でいることで親との関係を保とうと努力した。
学会が唯一の親子の橋渡しなので、
組織で「おかしい」と思う事があっても我慢するしかなかった。
何か問題があり相談しようと思っても、
両親は「祈るしかない」と一言しか言ってくれなかったので、
自分は何でも一人で考えなければいけない重荷を負った。
小さな頃から未来部(小学生)などで
「お父さんとお母さんを大切にしなさい」と
自分を気遣ってくれない両親への孝行をダメ押しされ、
現実と理想の矛盾と戦わなければならなかった。
などなど、です。言い始めたらきりがありません。
そして決定的なのは「共依存」です。
共依存症とは、
<<他人が自分の存在を証明してくれるものとしてあるような
依存的な人間関係>>を言い、
共依存する人は、自分を認めてもらう事実を作るために、
他者を自在にコントロールしたいという欲求があります。
例えば、お酒を飲んで妻に暴力を振るう夫は、お酒を飲むことで、
妻に自分の面倒をみてもらいたがっているのかもしれないし、
妻は酒を飲んだ夫の面倒をみることによって、
自分の生きがいを見いだしているのかもしれません。
普通、おおっぴらに「私は創価学会の会員です」などと言う人はいなく、
家族の中で、また組織の中で、学会員であるという自分の秘密を
皆で共有しています。
心のどこかで、自分が学会員であることを引け目に感じているので、
学会宣言(自分は会員だとカミングアウトすること)が、
全くできない人がゴロゴロいます。
世間一般に体裁の悪い「自分は学会員」という事実を、
会員同士で助け合いながら、あたかも間違っていないことのように
自分に、そして仲間に暗示をかけていきます。
そうやってお互いの絆を深めていくのです。
だからこそ、裏切れない。裏切りをさせない。
だって「ヒミツ」なのだから。
「やめたら死ぬ」や「逆らうと病気になる」という
マインドコントロールは、そういった経緯で発生したものかと思います。
人間の心理を逆手に取った、ものすごく頭の良い商売です。
ここだけの話、組織に残っている人は、
やめていった人に対して「それ、みろ」と思うような
酷い死に方や重い病気を期待しています。
私の母は、学会を反対していた人が亡くなった事に対して、
「死んであの人は私たちに信心を教えてくれたね。
あの人は死ぬまでずっと反対をしていたから、
あんなふうな死に方をしたんだ」と言っていました。
そんなことを言える異常さに、私は娘として鳥肌がたちました。
もう救いようがないです。
私は学会の二世以降の人達に、
アダルトチルドレンの傾向があると思っています。
放り出された寂しさなどのために、
間違っているとわかっていながら活動してしまった。
もしくは間違っているのもわからないまま活動してしまった。
そして、理不尽なことをしてしまう事を、
親の監督責任ということに気がつくことなく、ただ自分を守る為に、
学会や親のためになることをやってしまった。
ここまで来ると、
典型的なアダルトチルドレンになっている危険があります。
親が仕事などでお金を稼ぐ為に忙しいなら納得もいくのですが、
?がいっぱい飛んでるような場所で、
子供を投げ出してまで行く所なのだろうか?という組織に親は居る。
組織も、親も、そしてそれを否定できない自分さえにも
後悔や恨みというネガティブな感情が生まれてきます。
そして子供は自尊心を失っていくのです。
でも、ここで言っておきたいです。
学会で寂しさはなくなりません。
むしろ、異常な師弟関係や、人間関係、
嫌々しなくてはならないことがある、脅されるなど、
そんなものが横行している組織に未来はありません。
強引な勧誘で会員は増えていると思いますが
活動家が増えていないのが良い証拠です。
そこまで我慢して、学会員と一緒にいたいですか?
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2004年10月28日

人はいかに生きるべきか。

チョンガーさんのブログで、このブログを紹介して頂きました。
どうもありがとうございました。
今までの学会のブログはジャーナリズム性が高く、
読んで納得させられるものがとても多いと感じています。
むしろ、私達は客観的に、そして冷静に、
創価学会問題について語っていく事が求められています。
学会員の様にいくら熱く語ったところで、
理路整然と整理され、納得され、理解されないと、
本当に語ったことにはなりません。
このブログも勿論、学会の実際を冷静に語っていきたいと思っています。
しかしながら、表題に掲げたとおり、
創価学会問題の最大の論点は、チョンガーさんのおっしゃられた、
「人はいかに生きるべきか」
「人生の中の宗教とはどういう位置づけなのか」
「毎日はどのように宗教とつながっていくべきか」
です。
私は、このことをブログのど真ん中に置き、
お話していきたいと思っています。
ですから、私のブログには、私が今まで感じたことをストレートに、
尚且つ、自分の経験を交えて訴えていくつもりです。
時々、私と同じ経験をされた方々が私のブログを読み、
過去の辛い思いをフラッシュバックされるかもしれません。
一緒に乗り越えて行きましょう。
このブログは非学会員の方に訴える為のものであり、
それと同時に福子の心を癒すものでありたいと思います。
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2004年10月27日

やっと落ち着いたところで・・・

私は創価学会の三世会員です。
生後1ヶ月の時、自分で何も判断できない頃に有無を言わさず入会。
親子(祖母を含む)で学会のマインドコントロールに翻弄され、
私は何とか現状を脱出、母はまだまだ活動中です。
何かが違うと気づいたのはもう随分前から、
具体的に活動をやめるなどの措置を取ったのは、まだここ3年程のことです。
それまでは、皆から凄い活動家と褒められるほどでした。
気がつくのが遅すぎ。無駄にしてしまった時間は四半世紀です。
学会に深く深くコントロールされていた私は、
創価学会の営利団体としての本質や、教義と活動の不一致など、
現実が見え始めてくると、まるで自分の全てが剥ぎ取られたかのように
心身共にボロボロになってしまいました。
三世会員として、自分のアイデンティティー=学会になっていたのです。
それが全否定されたわけですから、自分の建て直しです。
この3年で、酷い鬱で働けなくなってしまったり、
抗不安薬を飲まなければ生活できなくなってしまったり、
パニック障害との闘い、自助グループでのワークショップ参加、
またアダルトチルドレン問題など、
いろいろな問題にぶつかりました。
現在は回復し、普通に毎日を営んでいます。
学会を冷静に判断できるようになった今、
私のような二世もしくは三世会員で悩んでいる方に
少しでも楽になって頂きたいと思い、
ここに少しづつではありますが、綴っていきたいと思います。
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