2004年12月27日

2005年/青年・拡大の年に胸痛む

もうご存知だと思いますが、来年は「青年・拡大の年」。
私の家の仏壇にも、どこぞやの仏壇屋からもらった
青年・拡大の年とでかでかと書かれたスタンドが置いてあります。

これを見て、物凄く心がズキズキしました。
また、私のような、2世・3世問題で悩む人が出てくるのではないか、と。
青年と書いてあるけれど、恐らく未来部とか中・高等部も
この青年の枠の中に入っているのだと思います。
自分の意思で活動をする、しないが決定出来ない人達。
そういう人を更なるコントロールにかけることは絶対にやめて欲しい。

私は今まで、マインドコントロールの外に出たことがありませんでした。
ある意味、守られているけれど、自由のきかない、
それすらも認識できない、今振り返ると真綿で首を絞められている状況でした。
私のように苦しむ人をこれ以上増やしたくありません。
でもどうやっていったらよいか、わかりません。
ブログも毎日の様に書きましたが、
それが本当に役に立っているのかがわからず、
また、今までなかなか出来なかった事に挑戦しているので忙しくなり、
自分なりの答えが出るまで閉鎖することにしました。

しかし、1つだけはっきりとした答えが出たものもありました。
それは、自分のアイデンティティが学会全てになってしまっている
福子という存在は、
まだまだ、まだまだ理解されていないということです。
やはり福子の気持ちは福子しかわからないということが、
返答コメントなどから顕著にわかりました。

コントロールという鉄格子の中で、自分が牢の中にいるということも知らず、
閉じ込められているとわかっても、
力まかせに内側から凄い労力で鉄格子の隙間を広げたり、
鉄を溶かすバーナーをくれ!と叫んだり、とにかく大変な努力が必要なんです。
それはとてつもない労力です。
これは私の経験ですが、
恐ろしい事に、そこまでの精神状態になってしまうと、
いくら幹部に優しい言葉をかけられても、何も聞こえない。
自分をここまで追いやった学会。
それを学会の中でまた解決しようとする幹部。
要するに、幹部不信。幹部は解決できないんです。
幹部だって、優しくて親身になってくださる方はたくさんいます。
実際私の周りでは、私がこのような状態になっても
温かく見守って下さる方がたくさんいます。
でも所詮、幹部は幹部であり、問題の発生源の人々が解決はできないです。
もう自分と学会の間には高い高い垣根があるんです。
七つに割れた頭を無理やり仏法や学会のルールで
元に戻そうとするのではなくて、
「割れていてもいいよ。あなたにはあなたの人生がある。
その人生に気がついた時に、割れた頭はくっつくんだ」と
誰かに言って欲しいのです。
幹部が持ってきた接着剤で頭はくっつかない。
自分でくっつけないと、自分に戻らないんです。
生きることを探求することが仏を保つことではないでしょうか。
それを他者から生かされて、保たされるのは間違っていると思う。

幹部の方々にお願いしたい事があります。
それは、私のような悩む福子を増やさないことです。
的確に物事を判断できる子供に、学会に入会する意思確認をして下さい。
ご本尊を頂く可否を確認してください。
小さくて何もわからない子供に、
「子供の将来の幸せのために入会させる」
という様な親のエゴを押し付けないで下さい。
幹部が思う優しさ、幸せと、
悩む福子が願う優しさ、幸せは違うものなのです。
この段階から、意思を押し付けないということは
とても重要に思います。
「赤ちゃんの幸せの為にも、一家和楽の為にも、
みんなで信心しましょうよ」
なんて、簡単に言わないで下さい。

私は、学会から離れられなくなり、何度も自殺しようとしました。
コントロールはそれほど強いものでした。
死んでしまいたい、死んだら学会から離れられる、
何度もそう考えて、死のうと思いました。
幹部から見たら既に割れているであろう頭を
真っ赤な血が流れるまで殴りつづけてやろうとさえ思っていました。
私の親も、私の将来を考えて、生後一ヶ月で私を入会させました。
しかし、その結果が現在の私です。
他のどんなことを許す事が出来たとしても、
親が断りも無く学会に入会させた事実は一生許しません。
これから同じ境遇の子供がまた誕生すると思うと許さずにはいられず、
また私自身が歩んできた辛い道のりに対して許す事ができません。
今は当時私に対して幸せになって欲しいと思い、良かれと入会させた
その親の気持ちだけをありがたく受け取っています。
(親もコントロールされていたかと思いますが、
とりあえずそれは別の話ということで)

私の思いは決して極端ではなく、
きっと同じ思いで今を過ごしている人が沢山いると思います。
これが最後の投稿になるかと思いますが、
幹部も、二世、三世問題で悩んでいる方々も、
どうか悔いの無い人生を歩まれてください。
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2004年12月05日

心療内科の話

gizmoさんのブログで、心療内科の話があった。

確かにgizmoさんの言うとおりだ。
医者は話を聞くのが仕事だし、患者に対して腫れ物をさわるように接する。
恐らく本人は鬱になったことなどないと思うし、
こいつに何がわかると一蹴したくなったことがある。

心療内科の利用の仕方は「話を聞いてもらう場所」に徹すること。
それ以上のことを望んではいけないと思う。
医者は「こう言われたらこう言い返せば相手の気持ちが落ち着く」という
セオリーを知っているのにすぎない。
(中には心から応援してくれる先生もいるかもしれないが・・・)
薬も落ち着いてきたら自分で止める。
医者はあれこれ飲まそうとするけど、
長期に渡って飲むべきではないと胸に留めておく。

ちなみにベンゾジアゼピン系の抗不安薬は大きな副作用が無いと言われている。
だから病院でも処方しやすいと聞いたことがある。
しかし私は身体的な副作用はないが、ひどい物忘れという副作用と戦っている。
こうして記事を書いている途中、何か単語などをネットで調べたいなと思うと
新しいウィンドウを開いてブックマークをクリックした途端
ほぼ9割がた何をしたかったのか忘れてしまっている。
だからこうしていても今まで書いた記事をすっかり忘れている事もあるので、
同じ事を何度も書くことがあるかもしれないが、ご了承頂きたい。
毎日がメモとの戦いだが・・・よく仕事をしていると思う。
自分で自分を殺したいと一時でも思ってしまった罰だと思っている。

ちなみにブログのログインパスワードを忘れた日にはどうしよ(>_<)
なんて心配もしている。

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2004年12月04日

宗門の学会員折伏教本

日蓮正宗のHPに創価学会員への折伏教本が載っている。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/basics/shakubuku_kyohon/mokuji.html

学会員のどういう行いが違うとか、宗門側からの見解が書かれているが、
読んでいてそうだなと思う所もありつつ、
子供の喧嘩のように
「こういう所が間違っているので早い学会からの脱会をお勧めします」
などという言葉が、ひとつの記事ごとに連呼されていて、
なんだか読むのにも脱力してしまう。

だいたい学会員は池田氏に付いていくのに決まっているので、
宗門と離れた時もさほど問題なく皆で破門になった。
その時に学会へ疑問がつのっていた人は宗門に付いたのだと思う。
直後、誰が宗門に付いたとか付かないとかを調べて
宗門からの脱講をさせるべく家庭訪問などをしていた。
私はどっちに居ても南無妙法蓮華経をたもつことが大切だと思っていたので
ほとんど脱講活動には関心無し。
当時はうちの仏壇にもそれを祈念する項目があがっていたけれど
そんなものはどうでもよかった。

私にとっての心の拠り所は、ご本尊の前に座る事。
静かに自らと向き合い、考え、手を合わせることだ。
私の宗教の観念はそういうもの。
決して嫌々選挙活動したり、新聞啓蒙する事ではない。
もし私という人物の信頼性や人生を通して、
一緒に手を合わせたいという人がいたのなら、
私は喜んで手を引いて共にご本尊に向かうだろう。
無理に引きずり込むのではなく、それが本当の折伏のはずだ。

「折って伏せる」様な布教を「折伏」と言い、
「易しく教えを説き相手がやるというまで待つ」のを「摂受(しょうじゅ)」と言う。
今は折伏の時代と言うが、ここで会員が増えないとなると
学会はとんだ勘違いをしていることになる。

悩んでいる人が目の前に現われるようにと祈るのは
折伏して福運を積みたいからという欲に過ぎない。
それを逆手にとって折伏を促す学会は、やはり営利団体だ。
日蓮聖人がいくら御書で折伏の時代と書いているとはいえ、
本当に日蓮仏法を広めていきたいのなら、折伏は外部のマイナスイメージを考えて
もっとフレキシブルに戦略を立てる必要があるだろう。
街のイベントには積極的に参加するとか、地域の有力者を丸め込むとか、
そんな事じゃ学会は広がらないよ。
一般の人々は学会員よりとっても頭が良くて、
学会員を冷静な目で判断している。

そんなに福運を積みたいのなら自分の今までの振る舞いを改め、
人の気持ちを考えて行動すべきだろう。
そうした方がよっぽど会員は増えるはずだ。

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2004年12月03日

パンプキン中吊り

今朝の通勤電車で、パンプキン12月号の中吊りを見た。

「迫害は”正義”の証拠」という見出しが出ていた。

カルトと慈善団体を比べるのもどうかと思うが、
UNICEFとかJICAのような公色の濃い物は別として、
GREENPEACEとかフォスタープラン協会って
果たして迫害されてるのか?

学会が自分が迫害されてるのは正義だからだと言っているのは
御書にそう書いてあるからかもしれない。
しかし、世の中には学会が言う「学会は良い」「それ以外は悪い」のような
簡単な理由が迫害のものさしになるのではなくて、
やはりそのものに存在する性格とか振る舞い、人望などで
迫害されるかそうでないかが決まると思う。
それが人社会ってものだと思う。学会が一番大切にする「人」だ。

学会はこれから一団体としてやっていきたいのなら、
まず、人はどういうものかという観念を改めるべき。

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2004年12月02日

ほったらかしの私

ともみさんのブログであったように、学会の今の方針としては
精神的な病を抱えている人は放置しているように思う。
自分で自分を「精神病だから放っておいてくれ」と言った私には
あまり学会員からのコンタクトが無いのが証拠。
普通に上からガミガミ言えない分、扱いが厄介だからかもしれないし、
学会が原因で精神的な病にかかる人が多いことを自覚しているのだろう。
自ら命を絶つとかしてもらうと困るだろうし、
実際自殺沙汰が起こって、
学会相手に訴訟を起している家族などもいるかもしれない。
そんなことはあってほしくない一番のことですが。。。

ぶっちゃけると、私は放ったらし加減が心地良い。
もう干渉しないでくれと心から思っていたから。
しかしここまで元気なので、
近所の道端で普通にしている所を見られたら
また幹部の人達はやってくるのだろうな。
けれど何を言われようが私は私のスタンスを貫く。
四半世紀も学会と向き合ってきて、嫌な事もたくさんやった。
ここら辺で生活を変えていかないと、生き方を変えていかないと、
心の底から本当に悔しいこれからを送る事になる。
現在学会から活動を止められてる人達は組織から離れてみて、
自分がやってきた事を客観的に振り返るチャンスがあると思う。
活動をしている以上、とめどなく命令は流れてくるし
それに従っていたら反省したり常識を振り返るチャンスもなかなかないから。
精神を壊してしまう何かが学会にあることを気づいて欲しいと
心から願っています。

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2004年12月01日

世間体

うちの家族はかなり昔から今の土地に住んでいるので、
周りの人は後から引っ越してきた人。
だから学会に入っているからと言って村八分にされることはない。
先手必勝ということだ。
しかし、いつその関係が覆されるがわからない。
その恐ろしさからか、物凄く世間体にはうるさく育てられた。

<下が私がうるさく言われて来た事>

基本的だが絶対に近所の人に挨拶をすること。
夜遅くや朝早くの会合の時など、家の出入りは静かにすること。
ゴミの掃除、家の周りの掃除など、必ず率先して活動すること。
勤行の声や、会合の時の声は控えめにする。
肌を露出したり、色やデザインの派手な洋服を着ない。
髪の毛を茶色くしない。派手な化粧はしない。

ここらへんまでは常識的な事が大半。
ここからはうちの家。

ビジネスアワーに外を歩かない。(仕事をしてないと思われる為)
大人に学会の事をねほりはほり聞かれたら煙に巻く。
(学会内部の事が素直な子供を通じてバレると大変)
日常生活の行いを通して実証を示す。
(勉強でトップになる、運動をする、部活を頑張るなど、
学会員はこんなに幸せなんだと、学会や法華経が正しいということを示す)
人にお願いされた事は率先して引き受ける。
(勿論学会員のお願い事は功徳につながるので引き受ける)
※必要以上に近所と関わり合わない。(学会ネタを避ける為)

ちなみに※に関しては、私が数年海外に留学したのを向いの家が知らない程度。

要は、世間に認めてもらえるような家庭にしようと思っているが、
うちはデリケートな腫れ物も抱えているから核心は伝えなくてもいいのよ、だ。

こんな事をしていると本当に疲れる。
核心は突いて欲しくないのに、良い所ばっかり見せようとする。
私としては嫌々だし、精神の綱渡り状態。
それでみんな病んでいくんだ。

みんな学会の本当の事を隠したがる。
でも隠すのに疲れるから、頑張って周りに認めさせようと頑張ったり、
逆に周りの人を身内にする為に引きずり込んだりしたいのだ。
でもそんなのは古い人達とか、コントロールの強い人だ。
最近は皆、自分の生き方を大事にしたいから、
組織から出たり、適度な距離を取ったりして柔軟にしている。
だから私も、思った以上に幹部にも接触されていない。
一昔前だったら小姑のように付きまとわれていたはずだ。

学会はもう終わりだと思っているのは私だけだろうか。
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2004年11月30日

学会の信憑性

まったく第三者で学会を冷静に褒めてくれる人がいない。
このネット時代に方々検索してみても、
そういう記事が全然ヒットしない。
いつも「こんなに褒められているよ」と言ってるのは
聖教新聞とか、関連する学会のメディアだけ。
要は自分で自慢しているだけなのだ。

やっぱり権力を行使しているからか
一般メディアで取り上げる事はあまりないけれど、
最近はその流れも変わってきていると思う。
結構な頻度で週刊誌が記事を載せている。
昔は週刊誌が書く内容なんて信じなかったけれど、
だいたい火の無いところに煙は立たないというか
やっぱり自業自得だ。
学会員みーんなが博愛奉仕の精神で
世の中に精神的にも物理的にも迷惑がかからないように努力していて、
周囲にとっても責める所など無い状態だったら
煙なんて立たないだろう。
(あまりにも世間に従順だったら
それもまた奇妙なコントロールかもしれないが)

人間として完璧な人なんていないし、
もちろん学会員にも言えることだけれど、
そういうのもまるごと含めて世の中の人には
真実をきちんと知ってもらいたいと思う。

真実を伝えていくのにはどうしたら良いのか、
いかに一人でも多くの人に知ってもらえるか、
ここの所いつも考えている。

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2004年11月29日

学会歌

私は軍歌みたいな学会歌が嫌いだ。

不思議と歌うとおじ様方にこぶしが入る。
勿論手拍子は一拍おきの軍歌ペース。
そして有志が何人か出てきて、
学会のテーマカラーである3色の扇子を広げ
ブンブン振りながら指揮をとっている。
大体は元気な男子部だ。
力があまっているのか、時々扇子が壊れる。
そんなに力いっぱいやってもシラけるだけなのに。
古い歌の歌詞はよく意味のわからない
仏法用語を使っていたりする。
最近は少々軽やかなのも出てきたけれど、
やっぱり根本のビートは軍歌だ。

そして意外に人気があるのが母を讃える曲。
この曲を聴くと涙をためる人がちらほらいる。
父曰く、歌詞が目頭が熱くするのだという。
(気になる人は検索してみるとヒットしますよ)
作詞をした有名人はあえて誰とは言わないが、
私が感じるに、相当なマザコンだと思う。
それにその人は、学会にとって婦人部が一番大切なことを知っている。
仕事を持っている壮年、青年には活動時間の制限があり
婦人が休まずに動けば学会は安泰だからだ。
しかも生活がかかった戦いをしている人は凄まじい。
(子供の進学、借金問題、ダンナのリストラなど)
だから褒めて棚に上げるのだ。

グループごとに作られた歌もある。
小学生が属する少年少女部の歌には
皆で頑張って勇気を持って険しい山を越えていけば
君は輝ける、みたいのがあったり、
それぞれが目標とする事への応援歌になっている。
女子部はここ10年位、やたらアップテンポな歌を歌っていて
歌が得意でない私にとっては舌がもつれるだけだ。
時々ついていけなくて、更にどうでもよくなってしまう。
歌ったところで元気なんて出ないし。
元気なのは前の方に居るパステルカラーの人達だけだ。

色々な歌をよく会合で歌うが、
時々会場になっているうちは住宅の密集地帯なので、
近所に聞こえやしないかいつも不安だ。
覇気よく歌うと近所に迷惑だし、
だからと言って小声で軍歌を歌っても元気は出ないし、
歌う意味って何?と思う。

こんな心配をしているから
私は最後の一歩がなかなか落ち着かない。

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2004年11月28日

詩(うた)

学会は何かあると詩が聖教新聞に掲載される。
池田氏が詠む、会員への激励の詩である。

世界詩歌協会から「世界桂冠詩人」という称号を送られたとされているが、
池田氏がその協会のパトロンになっているとか、
そもそもそんな団体は存在するのか?という疑問が
いつもあちこちで飛び交っている。

私はいつも池田氏の詩を見て思うことがある。
同じ意味を持つ言葉をいくつか派生させて
使い回しているようにしか思えない内容の単純さ。
「あー、またか」「あー、またか」と
いつも平坦でかわりばえのしない表現と内容にうんざりしていた。
確かに激励する言葉と限られてしまえば表現は減るかもしれないが、
それにしてもどの詩を見ても同じだ。

それを幹部はこぞって会合の冒頭で
「先生よりお詩を頂きました!拝読させて頂きます!」と言って
堂々と大勢の会員の前で読んでいるが
私はそのかわりばえのしない詩に拍手もできない。
たぶん私だけでなくて皆そう思っているだろう。
詩も使い捨てのように、皆どんどん忘れていくからだ。
特に詩の一つ一つに特徴がないし・・・
覚えていろと言う方が辛い。

また新年には詩が詠まれるだろう。
「旭日に 君は進まん 幸福道」
とか。

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2004年11月27日

ある女子部の逃走

私の住んでいる地域の女子部が突然引っ越した。
部員である私にも何も告げずに。
今は少々離れた所で一人暮らしをしている。

彼女は結婚の事などの将来について漠然と悩んでいたようだ。
幹部から相当酷い指導を受けたのか、
それから電話は着信拒否、会合は常に欠席、
幹部が家庭訪問しても「会いたくない」の一点張り。
会おうとしても一部員の私など完璧にムリだった。
凄い真面目な人だったので、思いつめてしまったのだろう。
張り詰めていた糸がピンと切れたように
勢い良く引っ越していってしまった。

私はかなりよくしてもらっていたので
告知無しで引っ越した後、自己嫌悪に陥ってしまった。
相談には乗れなかったのだろうか?
そう考えると悔やまれた。

それから少したって、今度は私が彼女の立場になった。
私の家庭訪問がなくなって、部員はどうしているのだろうか。
きちんと会合の連絡はいっているのかな。
一人で勤行はできるようになったかな。
何か大きな病気や怪我はしていないかな。
そうやって今でも心配をしては、祈っている。
私が気にかけているのは部員だ。
決して上の人の私への対応ではない。
上の人などどうでもいい。彼女らは日々の雑用に流されているだけだから。

ここに来てやっと引っ越していった先輩の気持ちがわかる。
一人で去っていくしか、方法がなかったのだ。
マインドコントロールされている周りの人を巻き込んでも
なんの解決にもならないのだ。
逃げるしかなかったのだ。精神戦争をはらんだ逃走だ。

最近、学会はやめる人がある程度いないとダメなのかなと
私は漠然と思うようになった。
徐々に学会のしくみがわかってきた私みたいなのが居たら、
拡大しようとしている組織にとっては邪魔。
入会する人がいて脱会する人がいて、
そうやってうまくコントロールが続くようにしていると思う。

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